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粗人間の居場所としての「補講」

  • FIELD NOTES

DATE . 2025/08/05

粗人間の居場所としての「補講」



こんにちは、経営のための創造社・二村康太です。
「プロデューサー視点」で事業や組織づくりを支援しながら、noteやポッドキャスト「日暮里ゼミナール」で気づきを発信しています。


昨日は「日暮里ゼミナール」の補講の収録でした。
連続で日暮里ゼミナールの話になってしまいますが、たまたま収録日が続いたのでご容赦ください。…まあ、そこまで気にしてる方はいないと思いますが笑。

普段は田嶋くん、ユスカルくん、そして僕の3人で月1回ほど収録していますが、今回はユスカルくんが仕事で不在。そこで、ゲストとしてユリさんをお招きしました。
ユリさんは、僕が行っている「ケイソウシャ式 - プロデューサー視点」講座の受講生で、熱心に僕のnoteや日暮里ゼミナールを聴いてくれているリスナーでもあります。だからこそ、率直な感想を聞くにはピッタリの存在でした。


粗人間の心地よさ

ユリさんからは「補講は男子校ノリ」と評されました。
普段の僕は講師ということもあり“真人間”寄りで真面目な話をしている分、補講では「こんなくだらないことも言うんだ」といういいギャップになっている、と。…素直に受け止めます笑。

ここで気づいたのは、成長するにつれて「子供じみた、偏った、ちょっと失礼な意見」を言う場がどんどん減っていくということです。
補講は、そんな“粗人間”としての自分を出せる、数少ない場所なのかもしれません。


大人ばかりやっていると息苦しい

このnoteやSNSをやっていて思うのは、少しパンクな意見の方が反応が良いということ。
「法律にばかり従っていたら自分の判断力がなくなる」みたいな話の方が、共感が集まるのです。

つまり、僕らは普段、会社やビジネスの中で“大人”をやりきっている分、学生時代に戻ったような素のやりとりに飢えているんじゃないかと。
聴いている人も、僕らのくだらないやりとりを通して「普段言えないことを代弁してもらっている」ような感覚になるのかもしれません。


素に戻れる場所の必要性

もちろん、くだらないことが“本質”というわけではありません。
でも、今の世の中はハラスメントの線引きが厳しくなりすぎて、誰もが“真人間”でいなきゃいけないような雰囲気があります。

少しだけ“素”の方に振り戻せる場所。
それが、メンタルヘルスのためにも必要なんじゃないでしょうか。


これからの日暮里ゼミナール

本編では、ゲストが苦難を乗り越え、独自のビジネスを築いた「綺麗なストーリー」を紹介しています。
でもユリさんの言葉で気づいたのは、「その裏にあるくだらない一面」こそ、人間らしさであり共感の源泉だということ。

今後は、そんな“粗人間”の側面も引き出せる番組にしていければと思っています。


🎙 「日暮里ゼミナール」では、毎月“好きなことをして生きている”人たちのリアルな声をお届けしています。
気になる方は、ぜひプロフィール欄からチェックしてみてください。


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