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本インタビューシリーズは「ビジネス工場見学」をキャッチコピーに、経営者の頭の中を工場に例えて、どのようなプロセスを経て唯一無二のサービス創造に至ったのかを紐解いていきます。経営者の数だけ存在するビジネスの生産現場に潜入していきましょう!

この記事では
「経営者の過去の経験」を原材料の調達、「サービス立ち上げ」を加工・製造、「サービスローンチ」を出荷・提供という名称で表現しています。
※本記事はラジオ番組『二村康太・東良 亮の「ケイソウシャ式レディオ」』とのコラボレーション企画として、木下氏にゲスト出演いただいた回の内容をインタビュー記事形式に読みやすく脚色・編集してお届けしています。
第12回目となる今回は『シンニチ工業株式会社』の代表取締役社長である木下 雄輔氏を訪ね、木下氏の頭の中にある“工場”での経営プロセスや考え方を見学させていただきました。
木下氏は婿養子で家業を継いだお父様から事業を承継し、現在はシンニチ工業株式会社の代表取締役社長として、金融業界で培った戦略性を製造業に活かした経営に取り組まれています。ものづくりだけでなく、産学連携やアートイベント、スタートアップとの協働など、地域社会と産業界をつなぐ“新しいパイプ屋”としての挑戦も続けています。
そんな木下さんですが、少年時代は“副部長”タイプを好み、学生時代もフットサルサークルを立ち上げたり、募集のないインターンに飛び込んだりとユニークなエピソードが多数。インタビューでは、事業承継の裏話から、社員同士をイングリッシュネームで呼び合う社内制度、そして“利己と利他”をめぐる独自の仕事観まで、ざっくばらんに語っていただきました。
千葉県出身。一橋大学法学部を卒業後、日系大手都市銀行を皮切りに、米系投資銀行、独立系M&Aアドバイザリーファーム、欧州系投資銀行など、国内外の金融業界で幅広い経験を積む。2016年にシンニチ工業へ参画し、翌2017年に代表取締役社長に就任。大径薄肉パイプの専業メーカーとして培ってきた高度な製造技術を基盤に、AI活用による製造プロセスの革新や産学連携プロジェクト、新卒採用の強化などに取り組み、事業の持続的成長と組織力の強化を進めている。“シンニチにしかできない価値で、すべての人を幸せにする”という企業理念を掲げ、グローバルな視点と金融分野で磨いた戦略性を活かし、地域社会と産業界の双方に貢献する経営を実践している。
ー 木下さん、本日はよろしくお願いします!
木下 こちらこそよろしくお願いします!
ー 木下さんのご出身は千葉県と伺っていたのですが、高校は愛知県にある岡崎高校に行かれていたと思います。いつ頃愛知県に移り住まれたのですか?
木下 小学校5年生の秋頃です。当時サラリーマンをやっていた父親が母方の会社を継ぐことになって、それで母方の祖父母の家に行くことになったんです。
ー お父様はそれまでどのような業界にいらっしゃったのですか?
木下 都市銀行員でした。父は婿だったので、傾いていた母方の家業を急ぎ承継する形になったのだと聞いています。つまり私は生まれながらのアトツギではないんですね。だから突然慣れ親しんだ千葉を離れて愛知に帰ると言われた時は結構悲しくて、引っ越しを迎えた日にちまで今でもよく覚えています。
ー これまで住んでいる期間だと、愛知よりも東京の方が長いんですか?
木下 そうなんです。前回インタビューされていた有楽製菓の河合さんが「東京での生活の年数が割合高くなってきたので半分愛知県民」だとおっしゃっていましたけど、実は私はまだ人生の1/3が愛知で、それ以外の期間は関東なんです。

ー ものづくり企業経営者のバックボーンに金融業界でのご経歴があるというのはとても珍しいかと思うのですが、この辺の経緯を伺っても良いでしょうか?
木下 もとより将来の承継が決まっているアトツギの方の場合は、自社に関連する産業に修行に行くとか、取引先に預かっていただくとか、あとは金融であっても銀行に入行(入社)して資金繰りの勉強をするなどのパターンはあるのですが、私はそれとも関係なく銀行員になりました。
ー お父様が銀行員だったことも理由のひとつなのでしょうか?
木下 父は休日も部屋に閉じこもり本を読んでいるような勤勉な人間だったんです。日常会話はあって、不仲ではないですし、職業も知ってはいましたが、仕事の話はほとんど聞いたことがありませんでした。勉強も教えてくれなかったですし、進学や就職についての会話とかもほとんどありませんでした。
ー 直接的な影響はなかったんですね。
木下 そのはずなのですが、私は父親と同じ法学部に進み、同じ銀行員になったんです。平々凡々なサラリーマン家庭に育って周りにサンプルがなかったからなのか、父親と似た道を社会人2年目までは歩みました。潰しが効くキャリアを無意識のうちに選んでいたのか、そこは自分でもわからないです。
ー 一橋大学に進学されたのは明確な意図があったんですか?
木下 Captains of Industry(国際的に通用する産業界のリーダーたり得る人材の育成)を使命としている一橋大学なら、堅物ではなく明るくビジネスを楽しんでいる人がいるんだろうな、という想像で選びました。堅物だった父とは違う道に行こうとして。結果的に似たような法学部を選んだんですが(笑)
| 見学メモ1 | |
|---|---|
| Captains of Industry | 一橋大学が創設して以来、使命としてきた理念。19世紀のイギリスの思想家かつ歴史家、トーマス・カーライル(Thomas Carlyle)が著書 Past and Present(1843年)で用いた表現であり、単なる経済活動だけでなく、道義や公共性、使命感を伴う “リーダー”を指していると言われている。 |
ー ちょっと斜め目線で、外したい気持ちがあったからそうしたのでしょうか?
木下 そうですね。岡崎高校も当時は別の地区から越境して通う人はいなくて、相当な変わり者でした。今は何十人~何百人単位で越境しているのでそういう意味では開拓者だった可能性はありますが、特に開拓したかったわけではなく、ちょっと斜めに見ていた感じだったのかと。人と違うことをやりたかったというわけではなく、ちょっとだけずらすような。部長タイプではなく、副部長とか副級長とか、“副”がつくポジションをとても好んでいたので、ずるいんじゃないですかね?(笑)リスクは取れないけど、良いところはいただきたいというような感じだったのかもしれません(笑)
ー なるほど(笑)不自由だったから自由を選んだという背景ではないんですね。
木下 「とにかく、父親のような“堅いおじさん”になりたくないから、自分は自分らしく生きたい」という反抗心だったのかもしれないですね。進学について口を出してこなかったので、選択は自由にできました。

ー そうなんですね。一方で、ある程度実績を出していないと親も子供を自由にしないと思います。そういった観点から、子供の頃の成績についても伺いたいのですが。
木下 小手先の成績は器用に出すことができていたんだと思います。“成績を出すこと”と“人間的に優れていること”は全く別問題ですが。でも、跡を継いだ後に知ったのですが、父は外ではどうやら息子をそれなりに誇らしく説明していると、周りから聞いたことがありました。承継の時もほとんど会話はなかったんですが。
ー それは自慢でしょうね。ご経歴だけ聞いていると超優秀じゃないですか。
木下 まぁでも、“優秀”というのは経歴じゃないって、大人になったらよく分かりますよね。
ー 学生時代はどのような日々を送っていたのでしょう?
木下 崇高な夢もない。飲んで、麻雀して、授業もほとんど出ずに4年生で巻き返すような大学生でした(笑)
ー いいですねぇ!(笑)
木下 飲んだくれてはいたんですけど、最初に入ったテニスサークルがいわゆる飲みサーだったんですが、それだけじゃ面白くないと思って、2年生の時にフットサルサークルを非公認で作って、生協のスタッフさんたちと仲良くなってチラシを貼りまくったりしていましたね。あとでめちゃくちゃ怒られたんですけど(笑)あとは10校以上をまたぐ金融の勉強を目的としたインカレサークルに参加したり、授業で出会った面白い先生の会社に、募集もされていないのにインターンだと言って勝手に話をつけて席を確保したりとか。そういうことをやっていました。
| 見学メモ2 | |
|---|---|
| インカレサークル | 「インターカレッジサークル(inter-college circle)」の略で、特定の大学の学生だけでなく、複数の大学の学生が一緒に活動できるサークルのこと。 |
ー クリエイティブですね。
木下 自分の人生のオーナーシップは持っていました。自分の興味のあるものはつまみ食いしに行くような。でも人を束ねるようなことはあまり性に合ってはいなかったです。フットサルも上手だったわけじゃなくて、楽しそうだから始めたんです。
ー 「副部長タイプだ」と自分で認識していながらも、団体を立ち上げたりしていたというのが特徴的だなと。
木下 自分の興味関心がもとで巻き込んじゃった場合は申し訳なくて、一定程度は頑張れるのかもしれないですね。それはもしかしたら今に至るまで同じかもしれないですね。ただ飽きっぽいのは間違いなくて、今のシンニチ工業を含めて5社経験してるんですけど、だいたい5〜6年目くらいで飽きるんです。だからちょっとずつ、飽きないように自分なりに工夫している可能性もありますね。

ー それでシンニチ工業さんはいろいろな施策をやられているんですね。その文脈でいうと、最近だとアートイベントなどもやられていますが。
木下 はい。今年(2025年)8月の最終週にアートコンペのレセプションと展示会をやりました。家のリビングに1枚絵を飾りたいなと思ったことがあって、でもせっかくアートを買うなら、よくわからない画廊のよくわからない作品を買うよりは、一緒にストーリーを紡げるような面白い作品を買った方が良いなと思ったんです。その発想から、そういったテーマのアートコンペを一緒にやってくれる人をSNSで探したんです。そこで東京の三鷹市にある武蔵野大学でアントレプレナーシップを養成しているEMC学部の学生さんで、アート領域で起業をした方をご紹介いただき、話をしていきました。
| 見学メモ3 | |
|---|---|
| アントレプレナーシップ | 起業家精神や新しい価値を創造する姿勢を指す言葉。単に会社を起こすことだけでなく、既存の組織の中で革新を起こす力も含む。 |
ー そんな経緯だったんですね。
木下 その学生さん曰く、その美大生は全国に6万人ほどいるらしいのですが、その半分以上がアートと関係のない一般企業で事務などの仕事をしているらしいんです。これを知っちゃった以上、「何かやらなきゃ!」という気持ちが湧いてきたんですよね。巻き込みかけちゃった人に迷惑はかけられないなと。それで一緒に今回の企画を実施したんです。アートについて詳しくないけど、自分たちなりに面白いと思うやり方でコンペをやる方向性で。このアートイベント以外にもいろいろやっていますが、だいたい根本は同じです。「知ってしまったからやった」という。“やるべき”ではなく“やりたい”からやっているので、使命感ではないです。ものすごく興味が広くて浅いんです。
ただ、このレセプションには大手デベロッパーやメガバンク、ベンチャー企業やベンチャーキャピタルなど、150名ほど参加いただけました。このバトンを“パイプ”と呼んでいるのですが、我々の本業である“ものづくりのパイプ”だけじゃなくて、自分たちきっかけで作った“パイプ”をもっと有名で面白いことができる方に渡すことができる。自分たちが実験をする第1号になっても面白いんじゃないかと思っています。この“実験の場”の提供が最近のテーマですね。
ー 飽きっぽいけれど、一度作り始めた“パイプ”はしっかり次に繋いでいくってことなんですね。でもなぜそこまで金融機関の方だったり、投資家を呼べたのでしょう?
木下 それはもしかすると、金融時代の働き方や、そこでの仲間作りとか、そういう経験が関係しているのかもしれないです。社会人2年目で最初の日本の銀行を退職して、その後入った米系の投資銀行は5年でクビになったんですが、さらにその後の2社も含めて結構働き方が激しいんですよ。めちゃくちゃ働いて、めちゃくちゃ稼いで、毎年クビになる人もいて、殺伐としているようでありながら、みんな本気でもある。外資系は結果が全てだと言われていますが、お客さんを騙して仕事を取っても次に繋がらないので、とにかくお客様のことを一生懸命考えて、一生懸命他の人がやらない提案を作って誰よりもたくさんお客様の元を訪れて、それでなんとか仕事が取れたり、それでも取れなかったり。
| 見学メモ4 | |
|---|---|
| 投資銀行 | 企業や政府などが資金を調達したり、企業の買収・合併(M&A)を行うときに専門的なサービスを提供する金融機関のこと。普通の銀行(預金・融資・送金などを扱う「商業銀行」)とは役割が異なる。 |
つまりは会社のために仕事をしているのではなく、お客様を通じて社会のために貢献しないと結局自分に返ってくると。こちらも本気なので「このままじゃ潰れますよ!」と言って出禁になったりとか、いろいろ経験をしたんですが、そういうスタイルで仕事をしていたので、心で通う営業活動ができていたのかなと。その時に知り合っていた人がイベントに来てくれたりしたんです。「あの時のあれは、良い思い出話だよね」と言ってくださって。それで繋がりが続いているという。
ー すごいですね。でも、最初からそういったタフな環境を求めて金融業界に入られたわけなんですか?
木下 金融のプロになりたくて銀行員になりました。最初は投資銀行に行きたくてインターンシップなどにも参加していたんですが、父から「とりあえず銀行に入るべきだ。」と強く言われたことと、中途で銀行員になるのは可能性が低そうだと考えて銀行にしました。でも長く時間をかけて一人前になっていく働き方と、やりたいことが明確化された上で馬車馬のように働く働き方だったら、後者の方が自分に合っていると2年間で感じました。そこで、第二新卒で次の会社に入りました。法学部に入ったことと銀行に入ったことで2度キャリアの選択に失敗しているので、もう失敗しないようにしないとなと。次の会社はクビになりましたが、その後の転職先は知り合いが繋いでくれた会社でしたし、ご縁を大切にして流れに身を任せて来たら今に至っているというような感じです。
ー クビになった事実って一般的には公言しないものだと思うんですが、木下さんのようなお立場にある方が明るくその事実を語られたことにとても深い興味を持っています。
木下 今を語るのに欠かせない経験だからですね。波瀾万丈の人生ではないながらに自分にとっては大きなイベントだったので。5年間のうち、最初の3年間はめちゃくちゃ働いていたんですが、後半の2年間は自分でも手を抜いている実感があったんです。オーバーペイドになっているし、後輩も疲弊しているし、全力で戦っていないのであれば去らないといけない。その経験と学びを話さないと今の価値観を説明できないんです。

ー そこから事業承継に至るまでのプロセスを深掘りしていっても良いでしょうか?
木下 会社をクビになった後、転職して1年、さらに転職して6年、会社員をやっていました。最後の会社は自分としても過去の学びを活かして続けていきたいと思っていたのですが、70歳を目前にした父から「継ぐか継がないか決めてくれ」と言われたんです。父が婿で継いだ時から自分が承継する未来は可能性としてありえるなと思ってはいたのですが、金融のプロになるために頑張る気になっていた時だったので、そこから数年間は返事をせずに悩んでいました。ですが、婿だった父が債務超過だった会社を継いだのに自分が継がないのは父親に対して失礼ですし、そこで働く皆さんに対しても失礼ですし、これは天命なんだと理解して2016年に会社に入りました。多くのアトツギの方はだいたい自社の現場を経験するなどのステップを踏むものですが、私の場合はいきなり副社長でした。
ー “副”が付きましたね(笑)
木下 大好きな“副”になりました(笑)しかもそこから1年後にはもう社長の立場でした。アトツギあるあるでよく言われるのが「先代がなかなか承継してくれない」とか「承継してもらったけどなかなか会社からいなくなってくれない」とかそういうのがあるんですが、父は1年経ったらすんなり株を移して退いたんです。今はもうほとんど関わっていないですし、引き継ぎでお客様のところに一緒に行くこともありませんでした。かなり特異な事業承継ですね。多くの承継問題に比べれば余程スッキリしていたので、覚悟は決めやすかったです。
ー なぜそういった承継の仕方をしたのか、お父様からお聞きになられたことは?
木下 ないです。2人で飲みに行ったこともないですし。普通の会話は結構するんですが、込み入った話はしないですね。事業承継って、本当に百社百様だと思います。
ー 承継された後に不安はありましたか?
木下 当然ありました。財務や経理はわかっていたかもしれませんが、経営・ものづくり・総務・人事などは一切やってきていませんでしたし、それを相談する相手もいなかったんです。承継してからはお客様のところに行くのが非常に怖かったですし、鉄鋼業界の慣習や業界用語もわからないので、ニコニコ頷いていた裏で一生懸命調べながら話していましたね。早いものでそこからもう8年経っていますが。
ー 1年目の頃の忘れられないエピソードはありますか?
木下 製造業にとって、原材料の1%の歩留まり悪化が利益にめちゃくちゃ影響するんです。金融マンだったころはお客様と一緒に分析をしたりしていましたが、当事者の立場になってその怖さを痛感しました。
ー どれくらいの時期から社長然としてきたと感じられますか?
木下 まだ誰も感じていないと思います(笑)ただ、副社長期間が1年、社長歴が8年なので合計9年やってきていて、最初の3年間はわからないことだらけで会社に引きこもって業界のことを覚えたり現場を歩いていたりしていたのですが、次の3年間からは比較的コツを掴めてきた時期で、商工会議所だったり地元の経済団体などにも少しずつ顔を出し始めていました。直近のこの3年間はさらに少し範囲を広げて、自分の関心と関連づけられるものを手当たり次第試してみています。日本全体の製造業の先行きが非常に厳しい中でスーパーマンのごとく現れて新規事業を作り「今やその事業の売上が全社の半分です!」みたいな引っ張り方をする社長になるのは、どう考えても自分には無理なので、自分に合ったスタンスで新しい可能性を探しています。

ー すごいリアリティがありますね。その3年間ごとに名前が付けられそうな。
木下 “ジュラ紀”とか(笑)
ー あははは!(笑)
木下 私はスーパーマンじゃない分、誰にでもできるようなことを繰り返してるんです。たとえば数年前、内装デザインを学ぶ女子大の学生さんが、自分たち学生が住むマンションの内装デザインを担当し、実際に体験・実践できる場を企業が提供した、というニュースを見かけて、「自分たちもぜひやってみたい」と思ったんですね。学生さんたちにも意味があることですし。学生にとって、提案の機会はあっても、実際に施工まで携われるケースは多くなくて、途中で企画がなくなってしまったり、予算の都合で中断してしまったりすることもあって、最後までやり切る経験は非常に少ないのが現状だったんです。
そこで私たちは「どのような結果になろうとも、最後まで伴走します」とお伝えして、実際に施工まで任せてもらえる オフィスリノベのプロジェクトを立ち上げました。4年前に弊社オフィスのリノベーションから始まり、現在は「お代わり」として3回目を進行中なんですが、そもそものスタートは、ニュースを見たあとに大学の代表電話に直接連絡を入れたところからでした。今弊社内で実施している『イングリッシュネーム制度』も『インフレ特別手当』も『シャイン・アップ制度』も実は、どこかの会社がやっていたものを参考にした“借り物”だったり、誰もが目にするニュース番組で特集されていたことなどが起点なんです。つまりこういった自社のプロジェクトは自分のクリエイティビティから生まれているものではないんです。
| 見学メモ5 | |
|---|---|
| イングリッシュネーム制度 | 外資系企業では社員同士を“マイク”や“ジョー”といった英語のファーストネームで呼び合う文化があり、それを見ていた木下氏が「これを取り入れたら社風が柔らかくなるのではないか」と考え、日本人社員にもイングリッシュネームを付けて呼び合う制度をシンニチ工業に導入。 |
ー よっぽどクリエイティブだと思いますよ。どこかで聞いたことがあるものだったとしても、それを実行に移せない人の方が多いと思うので。
木下 社長とか部長とか課長とかって役職で呼び合っている会社でも、裏では悪口を言っていたりするじゃないですか。そういうのは分かっているんで、それならいっそフラットに本音で話せる方がいいと思うんです。外資系にいた時ってまさにそういう雰囲気で、人に気を遣っても自分のキャリアのためにはならない。みんな自分のために一生懸命だったんです。その姿を見てきたので、そういう良いところだけを再現したいなという思いですかね。

ー 木下さんの発案から、社内で実施されている施策がやはりとても特徴的ですよね。
木下 他にもスタートアップさんと一緒に実験をやってる事例がいくつかあります。彼らも中小企業みたいなもので、大企業さんに営業に行ってもアポが取れない。それから「実証フェーズなら無料でやってよね」とか、「前例がないとうちは採用できないよ」とか、なかなか大変なんです。特に創業間もないスタートアップさんは本当に苦労されています。中小企業も同じで、「DXを進めたいです」「人事制度改革したいです」って言っても、丁寧に営業してくれる大手企業さんはなくて、「一声、何千万でやりますよ」みたいな話ばかり。我々のような小さいところにはコストをかけて営業できないのは当然です。だったら弱者連合で実績をつくって、面白いデータを取って、それをプレスリリースにして、「この実績引っ下げて大企業さん行ってきてください」と送り出す。我々はそのプレスを見た次のスタートアップさんに見つけてもらって、現場改善や新しいテクノロジーとの出会いになればWin-Winじゃないか、と。そんなことを一生懸命やっています。
ー なるほど!面白いですね。
木下 それを少し広げて、ベンチャーキャピタルさんにも「投資先でそういうスタートアップがいたら紹介してもらえませんか。一緒に実験したいんです」とお願いしてみたら、「そういうニーズめちゃくちゃありますよ」と言っていただいて、紹介いただけるケースが少しずつ増えてきました。ただ、製造業でできることにも限りがあって、捌ききれないようなお話も出てきます。そういう時は、地元の金融機関のつながりで知り合った大企業さんに紹介したり、別の業種の中小企業さんに紹介したり。全体で面白くできれば地域も盛り上がって、もしかすると雇用にもつながるかもしれない。そういう面白さをすごく感じてきました。
ー へー!
木下 「情報弱者同士が組んで仕組みを作れば、産業と社会をつなぐ新しいパイプ屋になれるんじゃないか?」と、そんな思いで動いています。学生さんやスタートアップさんからも、お悩みや実験ニーズの情報がどんどん集まってくるといいなと思っています。NPOとも何かできないかなとも考えています。 そんな流れで「我々は実験台になりたい、産業と社会をつなぐパイプ屋になりたい」という思いから、『?室(はてなしつ)』という何をやるかよくわからない室を立ち上げることになりました(笑)
ー 良い名前ですね!(笑)ラボみたいな感じですか?
木下 ラボみたいな感じです。「こういうことをやりたいんだけど、なんかいい名前ない?」ってAIに聞いたら「『?室』は“果て無し”という意味も込められていますね。インフィニティ、無限ですね」と言われて。「そうだよ、実際それも考えてたよ」なんて答えたんですが、正直全然考えてなかったです(笑)
ー あははは!(笑)話を伺っていくと、「あの人もうちょっと頑張ったらどうにかなるんじゃない?」とか、木下さんはそういった利他的な感覚で社会を見られている印象です。
木下 プロセスは利他的に見えますけど、本質は利己的なんです。自分のためにやっていたらいつの間にか世の中が良くなっていたケースもあると思いますし、逆にいきなり自分事化されてない“世の中のため”のテーマって続かないこともあります。いろいろな立場があるので、“世の中の正しいこと”って必ずしも皆ができることではないと思います。ですが、“自分が正しいと思うこと”は誰にでもできると思っています。自分事にできる距離ってだいたい半径30mとか50mとかそのくらいだと思っているのですが、その範囲の中で思いっきり“自分のため”にやっていたことが、いつしか世の中のためになっていても良いんじゃないかと。
ー それは素晴らしいですね。木下さん、本日は貴重なお時間をいただいてありがとうございました!
木下 こちらこそ自分自身の振り返りと整理ができて、大変有意義な時間になりました。ありがとうございました!

今回のビジネス工場見学は楽しかったですか?
木下氏から出荷されたサービスは下記から確認してみてくださいね!
シンニチ工業株式会社 HP→ https://www.shinnichikogyo.co.jp/
シンニチ工業株式会社 プレスリリース一覧→ https://prtimes.jp/main/html/searchrlp/company_id/113559
さて、次はだれの工場を見学しよう
経営のための創造社では事業戦略策定、戦略に基づく戦術(マーケティング、コンセプト、コンテンツ)の企画を担当。 以前はアドテク業界でトレーダー、HR業界でアナリストを務める。座右の銘は「1%くらいが好きになってくれれば良い」。好きな食べ物TOP3はいちご大福、柿の種チョコ、サーティーワンのポッピングシャワー。
Studio HEYA(スタジオ・ヘヤ)
東京・西日暮里にあるキッチン併設のハウススタジオ。
朝も夕も自然光が差し込む2階の南西向きに位置しており、木とアイアンとヴィンテージ家具がバランスよく調和する空間です。
ファッションポートレートや商品撮影、キッチンシーンを取り入れたライフスタイルカット、自然光を活かしたレシピカットなど、さまざまなシーンの撮影に適応できます。


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