インデックス
本インタビューシリーズは「ビジネス工場見学」をキャッチコピーに、経営者の頭の中を工場に例えて、どのようなプロセスを経て唯一無二のサービス創造に至ったのかを紐解いていきます。経営者の数だけ存在するビジネスの生産現場に潜入していきましょう!
この記事では
「経営者の過去の経験」を原材料の調達、「サービス立ち上げ」を加工・製造、「サービスローンチ」を出荷・提供という名称で表現しています。
※本記事はラジオ番組『二村康太・東良 亮の「ケイソウシャ式レディオ」』とのコラボレーション企画として、河合氏にゲスト出演いただいた回の内容をインタビュー記事形式に読みやすく脚色・編集してお届けしています。
第11回目となる今回は『有楽製菓株式会社』の代表取締役社長である河合 辰信氏を訪ね、河合氏の頭の中にある「工場」での経営プロセスや考え方を見学させていただきました。
河合氏は2代目であるお父様から事業承継をなされ、現在は社長業と兼任して『ブラックサンダー』をはじめとする自社ブランドのマーケティング活動に精力的に携わられています。時にはご自身もメディアに顔を出され、有楽製菓の魅力をより多くの方に知ってもらう活動に務められております。
そんな河合さんですが、小さい頃はチョコレートではなくケーキ屋さんになりたかったとか?少年時代のエピソードから、新卒を経て事業を継ぐ際の裏話、そして今後どのようなカルチャーを世の中に発信していこうと考えられているのかを聞いてみました。社員の指示待ちを解消する秘訣は「河合社長が一番くだらなく」あること?目から鱗の仕事論をお楽しみください。
1982年長崎県生まれ。2007年に新卒でシスコシステムズに入社し、システムエンジニアとして大手製造業を担当。2010年に家業である有楽製菓に入社。製造ラインや商品開発を経験したのち、マーケティング部や人事部の立ち上げを行い、一般流通商品や観光土産商品の事業統括を歴任。マーケティング部では、メインブランドである『ブラックサンダー』を活かした業界の常識にとらわれない商品企画やプロモーション活動を牽引。2018年に事業承継を行い、3代目社長となった。自称”チーフ・ブラックサンダー・オフィサー”(CBTO)。
ー 河合さん、本日はよろしくお願いします!
河合 こちらこそよろしくお願いします!
ー 河合さんのご出身はどちらになりますか?
河合 出身は愛知県豊橋市です。有楽製菓は元々私の祖父が戦後に東京で立ち上げたのですが、工場は地元の豊橋市に作っていて。その工場を任されていたのが私の父だったので、私も豊橋で育ちました。生まれは母の実家のある長崎なのですが。
ー そうなんですね!では青春時代は愛知県で過ごされたんですね。
河合 そうですね。2歳から高校を卒業する18歳までは愛知県でした。いまはだいぶ東京での生活の年数が割合高くなってきたので、半分愛知県民って感じですが(笑)
ー ははは!(笑)今でもちょくちょく帰郷されたりしますか?
河合 します。長期休みがあれば家族を連れて帰ることもありますし、工場には月に1回か2回は最低でも行くようにしているので、ちょっと豊橋に行って空気を吸って帰ってきています。
ー 豊橋では地元の学校に通われていたんですか?
河合 はい。地元の公立小学校、中学校、高校を経て、横浜の国立大学に進学しました。
ー なるほど。そのタイミングで地元を離れたんですね。お父様はお祖父様から継いで2代だったかと思います。そんなお父様の経営を間近で見てこられて、当時は将来的に継ぐ意識もあって進学先を選ばれていたのかなと。
河合 いえ、実は父の経営者としての顔をあまり見た記憶がないんです。朝起きると父はもう仕事に出ていて、夜寝る頃に帰ってくるような感じだったので、平日はおろか休日も仕事で家を空けていることがほとんどでした。長期休暇などがあればキャンプに連れてってくれたりはしたんですが。なので間近で見て接する機会はあまりなかったですね。
ー そうなんですね。お父様の仕事を意識された時っていつ頃くらいなのかなと。
河合 ぼんやりと記憶はあるんですが、それでも父よりも祖父の方が強いです。東京にいた祖父の家に遊びに行くことがあったのですが、会社と併設した敷地内に家があったので「へぇ〜こんな会社をやってるんだなぁ」っていう思いは常にありました。ずっとチョコの匂いがしていましたし。
ー へー!ご自身の家が友達と比べて少し特殊だと思ったことはありましたか?
河合 なかったですね。貧しい暮らしをしていたという感覚はないんですが、いわゆる裕福な暮らしで甘やかされて育った感覚もなく、唯一家にお菓子があるっていうのだけが違っていたくらいで。父が試作品を作ると持ってきて食べさせてくれたりしていたので、それは特殊なんだろうなとは思います。
ー お父様のお仕事に対してはどんな印象がありましたか?
河合 当時、一時期ですが某有名テーマパークのお菓子を作っていることがあって、「父がやっている会社でそんな大きなテーマパークのお菓子を作ってるんだ!」ってすごく自分の中で誇りに思った記憶はありますね。
ー すごい!それは感動しますね。ちなみに河合さんの小さい頃の夢はなんでしたか?
河合 子供の頃はケーキ屋さんになるのが夢だと言っていた時期がありました。豊橋市内にケーキ屋さんを営んでいる親戚の方がいらっしゃって、実家の会社よりも市内で有名だったんです。
ー ケーキ屋さん!それでもお菓子絡みの仕事ではあったんですね。小学校からはバスケットボールをやられていたかと思うのですが、当時何か目指していたものはありますか?
河合 スポーツではないんですが、高校の時はゲームとかアニメとか漫画とかがずっと好きで、当時ファイナルファンタジー7が発売されてコンピューターグラフィックの世界を見て衝撃が走って「こういうの作りたい!」って思っていました。それがきっかけで大学は情報系の学科に進みました。
見学メモ1 | |
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ファイナルファンタジー7 | 1997年にスクウェア(現スクウェア・エニックス)から発売されたRPGゲーム。プレイステーション用ソフトとして初の3Dグラフィックとムービー演出を採用。主人公クラウドと仲間たちが、巨大企業「神羅」と古代種の末裔セフィロスの陰謀に立ち向かう物語が展開される。スチームパンクとファンタジーが融合した世界観、感動的なストーリー、個性豊かなキャラが魅力。リメイク版『FF7リメイク』も2020年より順次発売され、再評価が高まっている。 |
ー ゲーム作りにご興味があったんですね。大学ではどのような勉強をされていたのですか?
河合 ゲームを作りたくて大学に入ったものの、家業に還元できるものを自分の中に身に付けることって将来的に何か意味がありそうだなって思って、情報系の中でも生産管理システムを学んでいました。
ー それがその後の承継に繋がっていくんですね。そこからIT企業にご就職されて。
河合 はい。シスコシステムズという会社に入社しました。同じ研究室のメンバーが全員シスコシステムズを受けると話していたので「じゃあ俺も行く!」って言って応募したんですけど(笑)
見学メモ2 | |
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シスコシステムズ合同会社 | 1992年に米国Cisco Systemsの日本法人として設立された。ネットワーク機器やクラウド、セキュリティ、Web会議ツールなどを提供し、企業のDX推進に貢献。リモートワークや遠隔教育・医療など社会基盤にも関与している。ダイバーシティを重視した職場環境づくりに注力し、2024年には「働きがいのある会社」大規模部門1位を獲得。 |
ー そんなノリだったんですね(笑)
河合 でも結果的に入社できて本当によかったです。外資系企業の職場環境や考え方を知れたことももちろん良かったですし、製造業者さんの担当にしてもらえたことで製造業のITを外から見ることもできました。
ー 色々な製造系の企業さんを担当されて。
河合 そうですね。3年しかいなかったので色々見れたかというとそうでもないですけど、大手企業さんを中心に対応させていただいたり、営業の先輩と一緒に色々考えさせていただいたり、すごく良かったと思っています。
ー その頃は家業に目が向いていた訳ではないんですよね。
河合 シスコシステムズに入社した時にその思いは全くありませんでした。家業を継ぐつもりがなかった理由としては、僕に兄がいるためでした。祖父や父も含め「基本的に兄弟は会社に入れない方が良い」という考えを持っていて、仲良くやれても下の世代で揉めることがあるからやめた方が良いと。兄が入社するものだと思って20年以上過ごしてきたので、自分は入らないと思っていたんです。でも僕が新卒入社して1ヶ月で兄が亡くなって。そこで初めて家業を継ぐ選択肢が自分の中に生まれてきました。
ー そんなことがあったんですね。家業を継ぐ意識に急にパチっと切り替わったのでしょうか。
河合 そこは緩やかでした。特に誰に言われた訳でもなく、自分の中で思い始めただけだったので。入社させていただいて1ヶ月で今の会社を退職するのも違うなと。せっかく入社させていただいた会社で、自分の中に得るものや学ぶものをちゃんと蓄積させた上で家業に入らないともったいないですし。結果的に丸3年働いて、その後有楽製菓に入りました。
ー 家業に移られる際に、お父様と何か話されたりしましたか?
河合 社会人になって2年半くらい経った頃に実家に帰ったことがあったんです。実家から駅まではいつも母が車で送ってくれていたんですけど、その時珍しく父が送ってくれて。その時車の中で「いつ帰ってくるんだ?」って話を初めてされて。「一応考えているよ」とだけ答えたんです。
ー おおー!
河合 それをきっかけに家業に移ることをそろそろ考えなきゃなと思っていたタイミングで金融担当のチームに欠員が出て、異動して欲しいと打診されたんです。そのタイミングで上司に退職の意向を告げました。「決して金融系企業を担当するのが嫌な訳ではなく、実はこういうバックグラウンドがありまして・・・」という感じで。
ー 当時の上司はびっくりされたんじゃないですか?
河合 そうですね。家業の話もしたことがなく、全く匂わせてもなかったので。同期も含めて誰も知りませんでした。
ー 「ええ?!あの『ブラックサンダー』の?!」みたいになりますよね(笑)
河合 結果なりました(笑)私がシスコシステムズに入社したのが2007年だったので、まだ『ブラックサンダー』が世の中に広く知られる直前くらいだったんですよね。だからあえて言うことでもないなと思っていたんです。
見学メモ3 | |
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ブラックサンダー | 1994年から有楽製菓株式会社が製造・販売するチョコレート菓子。コンビニやスーパーを中心に幅広く流通。定番商品のほか、地域限定やコラボ商品も展開し、ブランドの多様化も図っている。キャッチコピーは「おいしさイナズマ級!」と「若い女性に大ヒット中!」。サステナビリティへの取り組みも積極的で、2022年に児童労働撤廃に取り組む人権に配慮したカカオ原料へ100%切り替えを実施(2024年には有楽製菓が扱う全商品の切り替えを完了)。愛知県豊橋市の「豊橋夢工場」では、2025年5月に工場見学施設「ブラックサンダー ワク⚡ ザクファクトリー」をオープンし、年間10万人の来場を目指している。 |
ー 僕の感覚だと『ブラックサンダー』って昔からあったはずなのにある日突然姿を現したような気がして。どのような経緯で認知が広がっていったんですか?
河合 『ブラックサンダー』が生まれたのは1994年なんですが、そこから10年弱はあまり売れていませんでした。でも2000年代の前半になってから大学生協で人気が出たんです。最初は子供向けの駄菓子として販売していたのですが、子供にとって駄菓子の相場って10円とか20円とかなので、30円の『ブラックサンダー』はちょっと高い。でも大学生にとって30円のお菓子って逆に安くて、その上ボリュームもあるお菓子なのでヒットしました。
ー 思い出しました!当時僕も大学生だったのですが、確かに生協にいっぱい置いてあった気がします。そこから口コミで全国に認知拡大していったんですか?
河合 全国的に認知されるようになったきっかけは、世界大会でメダルを獲られた某体操選手が「『ブラックサンダー』が好き」だとインタビューでお話いただいたことです。それで認知がドーンと広がって。
ー 有楽製菓に入社された当初はどのような業務をなさっていたんですか?
河合 まず、メインの豊橋工場のラインに入って8ヶ月間働いていました。本当は1年間そこで働く予定だったんですが、開発部の方で産休に入る方がいたのでそのタイミングで開発部に異動しました。
ー 製品開発になったってことですね。
河合 そうです。お菓子の配合を作ったりとか。開発部でも8ヶ月ほど働いて、そのあとはマーケティング部を立ち上げました。
ー 立ち上げられたんですか?!
河合 はい。私が開発部にいた頃にマーケティング部を立ち上げる話が出てきていて、その当時社内のマーケティング勉強会のようなものも開催されていたので参加してみたんです。その参加メンバーから立ち上げる人を選ぼうってなって、私ともう一人の2名で立ち上げました。そこから今日に至るまでずっとマーケティングの世界にいます。
ー そんな経緯があったんですね。マーケティングは楽しいですか?
河合 楽しいですね。自分にすごく合っているんだろうなって今でも思います。少年時代も友達の輪の中心にいるタイプではなく、どちらかというとガヤ芸人のような立ち位置で、ワンフレーズ放り込んでその場がわーっと盛り上がるような状況を楽しむタイプだったんです。人が笑って喜んでいる姿を見るのが自分の中で一番嬉しいことだと感じていて。それがベースとして今のマーケティングの楽しさに繋がっているのかなと。
ー 根本にあるのが”人を喜ばせたい”という気持ちなんですね。現在は社長業も兼任されていると思うのですが、そこの楽しさや難しさはありますか?
河合 確かに日々大変は大変なんですが、それ以上に楽しいと思える瞬間の方が圧倒的に多いです。
ー 素晴らしいですね。
河合 それはおそらく、我々の作る商品や企画がお客様に受け入れていただけているからだと思います。売れない時はそうは言ってもやっぱり苦しいですし「社内組織がうまく回っていないなぁ」とか「社員に対してうまく環境提供できていないなぁ」とか、辛さや苦しさを感じることはありますが、基本的に世の中に考えたものを提供できて、それを認めていただいて、話題にしていただいてということが続いているので圧倒的に楽しいですし、モチベーション高くあり続けられています。
ー これまでのマーケティング活動で、特に印象に残っている企画はありますか?
河合 マーケティング部で一番最初にやったバレンタインの企画ですね。新宿駅で「一目で義理とわかるチョコ」とコピーをつけて広告をやりました(笑)
ー 知ってますそれ!(笑)あれ河合さんの企画だったんですね!(笑)
河合 そうなんです(笑)それが思った以上に世の中に受け入れてもらえて、あの快感は今でも忘れられないですね。
ー どういった経緯でそのコピーが生まれたんですか?
河合 当時、会社の売上が一番高い月が2月ではなく12月だったんです。入社当時からそれがすごく疑問で。12月は年末年始休暇になるので出荷が偏るんです。そこに加えてチョコレートのシーズンも秋と冬がメインになるので12月の売上が上がることは理解できるんですが、それにしてもチョコレートがメインの会社なのにバレンタインシーズンの2月の売上が一番じゃないのは何でなんだろうと疑問でした。それである時「もしかしたらバレンタインに企画をやってないからなんじゃないか?」ということに気が付いて社内で話をしたんです。
企画を打つなら「ウチなら『ブラックサンダー』だよな」ってなって、「『ブラックサンダー』でやるなら、絶対本命じゃないですよね」って話になり(笑)
ー ははは!(笑)自虐的ですね(笑)
河合 『ブラックサンダー』渡されて「これ本命です!」と言われても「嘘でしょ!」って絶対なるんで(笑)
ー (笑)
河合 「義理を押し出すなら、それを堂々と謳うことが『ブラックサンダー』らしさなんじゃない?」って話をして。そんな中、当時たまたま飛び込みで営業に来られた弘亜社さんという屋外広告などの事業をやられている会社さんから「新宿で広告枠を借りて企画をやってみたらいかがですか?」と提案をいただいたので、そこからディスカッションを重ねて企画を作り上げていった感じですね。最初は全然違うコピーだったんですけど、提案資料の片隅に「一目で義理とわかるチョコ『ブラックサンダー』」って書いてあって。「これめっちゃ良いじゃないですか!これ最高ですね!」と言ったら、次の打ち合わせの時にメインコピーになって戻ってきたと言う(笑)
見学メモ4 | |
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株式会社弘亜社 | 1938年創業の老舗広告代理店。交通広告や屋外広告(OOH)を主軸とし、駅・空港・街中などリアル空間を活用したプロモーションに強みを持つ。広告の企画から制作、運用までを一貫して手がけ、デジタルやイベント分野にも対応。近年はアジア市場にも展開し、タイやベトナムなどでの実績も積んでいる。「ヒトのココロを動かす掛け算」を掲げ、話題性ある広告づくりを行っている。 |
ー 当時の義理チョコ文化ってどんな感じだったんですかね。
河合 学生の中では配るのが当たり前のようなイメージでしたし、職場などでもなんとなく配っていたと思うんですけど、悔しかったのは「義理チョコといえばチロルチョコ」というイメージが一般的で。
ー 確かにそんなイメージがありますね。
河合 私自身もバレンタインの時に、社内のメンバーから義理チョコとしてチロルチョコをもらったことありましたし(笑)
ー ははは!(笑)
河合 「お前ちょっとおかしいだろう」とかって言ってたんですけど(笑)でも「これが現実だよなぁ」と思って。そこから「義理チョコといえば『ブラックサンダー』」という立ち位置を獲るために”妥当チロル宣言”を掲げていきました。でも義理チョコって近年義務的な文化となってきて敬遠されている部分があるので、5年ほど前から率先して義理チョコ文脈での押し出しをやめました。人に感謝を伝えることのできる文化なので、義理チョコ自体が否定されるものではないと思うんですが。
バレンタインデーって、小学生時代の男性だったら「今日もらえるかな?!」って思って机の中を覗いたりしてドキドキしたり、女性は「渡そうかな?!」っていうドキドキ感があって、みんなが一度は経験して楽しかった文化のはずなんです。それが義務的になってイメージを悪くしているのであれば、昔のワクワクソワソワしたあの思い出をみんな思い出せばバレンタインってもっと楽しくなるんじゃないかということで、ずっと取り組みをしています。
河合 元々業界の中でも「有楽製菓って変わったお菓子を作るよね」って言われていたらしいんです。少し尖った変わったものを作っていたというベースが既にあって、マーケティング部を立ち上げたことでそれをもっと押し出していきました。
『ブラックサンダー』ひとつをとっても、お菓子のパッケージが黒と金なのも、そもそもその配色って「危険ですよ」ってお知らせするためのものなので。そのパッケージを作るのも普通じゃないですし、何を主張したいのか良くわからないコピーが袋に書いてある。でも次第に「『ブラックサンダー』なら何やっても許されるよね」ってポジションになっていって。”どこの会社も押し出せないような企画ができるブランド”になってきている実感はあります。
ー 結構幅が出せているって感じなんですね。
河合 「ここまでやっていいかな?やってみよう。あ、良いんだ・・」っていうのをずっとやっている感じです。
ー 「他のメーカーだったらこれやらないだろう」がやれるカルチャーがあるんですね。
河合 そうですね。最近の企画って、私発信で生まれたものってほぼないはずなんです。社員や一緒に考えてくださっている企画会社とのディスカッションの中で大体生まれてきていて。
ー すごいですね。それってカルチャーが浸透しているということだと思うのですが、それってどうやってこられたのですか?
河合 ”有楽製菓としてどういうものを是とするか”という概念は、ものづくりに関しては明文化していません。数年一緒にやってきたメンバーは、私の言うこととか私のジャッジした理由とか、そういうものを理解しながら学んで分かってくれています。でも基本的に”私の価値観を押し付けない”という意識を持って常に仕事をしています。「お客様目線で考えるとこうだと思うんだけど」と言ったようにコミュニケーションは取っていますね。
時には「それでも私はこういう風に考えているんです」って押し通してくる場合もあって、3〜4回それを繰り返してもずっと押し通してくるので「わかったよ。でも俺はこれ多分ダメだと思うけどね」って言ったやつがすんごい売れたりして(笑)
ー ははは!(笑)なるほど!
河合 「当てにいくことだけが大切ではないよな」って言う風に思えますよね。
ー 自分の意見を言いやすくするように、あえて意識してコミュニケーションを取っているのでしょうか?
河合 そうですね。自分一人の発想よりも、みんなの脳みそを使った方がより良いものが出てくるはずだという感覚があります。価値観は一つの方向にしか向いていないけれど、みんなのそれぞれの価値観を集めたら多面的な良いものができると思っているので。それをどうやったら一番発揮できるのか?というのは前提で考えています。
ー すごく柔軟なリーダーですよね。河合さんの事業承継前からそういう社風だったのか、事業承継後にそうなっていったのかは気になります。
河合 私の中では明確に「私が変えた」と思っています。規模が小さかった頃はトップダウンでも社内全体に浸透しやすかったのですが、少し会社が成長して大きくなってくるとトップダウンでは難しくなる。私が社長になった時代でも指示待ちや正解を待っているような雰囲気があったので、まずはマーケティングチームからちょっとずつ変えていってみようと思ったんです。「マーケティングチーム内では、とにかく自分の考えていることを言うのが正解」って言って。”自分の意見が一番正しい”というような文化を作るために、率先して私が一番くだらないことを言う。ブレインストーミング的にとにかく思ったことをわーっとしゃべる場を作っていましたね。
ー すごく良いですね。アイデアが出しやすいだけではなく、社長が意見を通してくれるんですもんね。
河合 私としても今までのやり方を否定するのではなく、父がこれまでやってきたことも尊重しながら、ナチュラルに会社を変化させようとしています。父とも時に意見を交わすこともありますが、ぶつかることなくしっかりとお互いの考えをすり合わせていけば「わかった。じゃあやってみろ」と言ってくれますので。
ー 承継にあたって、ブランドや社員さんたちだけではなく、もっと概念的に受け継いだ価値観などはありますか?
河合 2つあります。ひとつは、品質なども含めた”ものづくりへのこだわり”ですね。創業当時はウエハースを作っていたんですが、業務用ということもあってグラム単位で販売していたんです。グラム単位で売るということは、一つ一つのウエハースの重量を重くしはた方が高く売れるので、ちょっとだけ通常よりも水分を多く含んだクリームなどにすることが業界の中であったらしいのですが、有楽製菓はそれをしなかったそうなんです。高く売れないかもしれないけれど、美味しいものを提供するというのが、初代の祖父、2代目の父から大事にしている価値観です。
ー 素晴らしいですね。
河合 もうひとつは、”会社を支えてくれているのは人”という思いですね。「ものづくりは人づくり」なんていう言葉もありますけれど、人が育って初めて会社が育つという考えをすごく大事にしています。
ー 河合さん、本日は貴重なお時間をいただいてありがとうございました!
河合 こちらこそありがとうございます!こういう機会をいただけると、自分の頭の中が整理されて次に繋げやすいですし、外の方から見た自社の印象などが会話から知ることができたので、またこれから頑張ろうという気持ちになりました。
ー そう言っていただけて大変ありがたいです!
今回のビジネス工場見学は楽しかったですか?
河合氏から出荷されたサービスは下記から確認してみてくださいね!
有楽製菓株式会社HP https://www.yurakuseika.co.jp/
河合辰信 Instagram https://www.instagram.com/t.kawai_thunder/
さて、次はだれの工場を見学しよう
7歳の頃から小説を書くことに魅了され、2018年からフリーランスライターとして活動開始。現在はwebライティングをはじめWebサイトや広告などのコピーライティングや、ゲームやイベント、映像関係などのシナリオ・脚本制作を行なっている。また、小説や詩、エッセイや写真などの表現活動を通して物語やコンセプトの創作にも取り組んでいる。好きなものは珈琲、散歩、温泉、アート、エンタメ全般。これからゲーム配信に挑戦しようとしている。
経営のための創造社では事業戦略策定、戦略に基づく戦術(マーケティング、コンセプト、コンテンツ)の企画を担当。 以前はアドテク業界でトレーダー、HR業界でアナリストを務める。座右の銘は「1%くらいが好きになってくれれば良い」。好きな食べ物TOP3はいちご大福、柿の種チョコ、サーティーワンのポッピングシャワー。Twitterアカウント「ふたむら、曰く@observefutamura(https://twitter.com/observefutamura)」の管理者。
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