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インタビュー髙野安代(株式会社La Himawari)|ビジネス工場見学FILE.9

2025.02.07

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本インタビューシリーズは「ビジネス工場見学」をキャッチコピーに、経営者の頭の中を工場に例えて、どのようなプロセスを経て唯一無二のサービス創造に至ったのかを紐解いていきます。経営者の数だけ存在するビジネスの生産現場に潜入していきましょう!

この記事では
「経営者の過去の経験」を原材料の調達、「サービス立ち上げ」を加工・製造、「サービスローンチ」を出荷・提供という名称で表現しています。

第7回目となる今回は『株式会社La Himawari』の代表取締役である髙野 安代氏を訪ね、高野氏の頭の中にある「工場」での経営プロセスや考え方を見学させていただきました。

髙野氏は現在、京都に2拠点を構えるコワーキングスペース「Collabo Earth」の責任者を務められています。La Himawariとしてはその他にもセミナー事業やコンサルティング事業まで多面的な事業を展開されており、一昨年までは共同代表2人体制で経営をしてきましたが、新たな体制として髙野氏が1人代表で経営を担っていくことになりました。

衝撃の創業ヒストリーから、そこに紐づく人間模様、そして髙野さんご自身の心理的変容まで全てを語っていただきました。このインタビューを読み終わった時、まるでドラマを全話見たかのような充実感に包まれるはずです。

髙野安代 (株式会社La Himawari 代表取締役)

長野県出身。立命館大学在学中によさこいサークル『京炎そでふれ 大曇天返し』に加入し、精神面での大きなパラダイムシフトを経験する。大学卒業後に一時就職をするも、サークルメンバーと再開し2013年にLa Himawariを創業。右も左もわからない状態から試行錯誤を繰り返しメンバーと共にセミナー事業を軌道に乗せる。その後コンサルティング事業などを経て、ビジネスの相互扶助を支援するコワーキングスペース「Collabo Earth」を京都に設立。2024年7月より当該施設の責任者となる。

ー 髙野さん、本日はよろしくお願いします!

髙野 こちらこそよろしくお願いします!

〜原材料の調達〜

自分で洋服のイラストを描いたり、手作りするのが昔から好きだったんです

ー 早速なんですが、髙野さんはどちらのご出身ですか?

髙野 出身は長野県です。大学は立命館の滋賀・草津キャンパスで、新卒で入った会社は名古屋にあって、La Himawariの創業は京都だったので、色々と転々としています。しかも大学時代は所属していたサークルの拠点が京都だったのでほぼ毎日滋賀と京都を往復していました。

ー すごいいろんなところに行かれてますね!(笑)大学は立命館とのことですが、学部はどちらだったんですか?

髙野 経済学部の中の環境デザイン学科という、グラフィックデザインやインテリアデザインを地球環境と絡めて学べるというちょっと特殊な学部でした。

ー あ、じゃあデザインの経験をお持ちなんですね。

髙野 そうなんです。今お渡ししている名刺とかパンフレットとか、WEBのLPの制作なんかもやっています。当時は趣味でグラフィックデザインをやっていたんですが、起業してからは制作物全般を手がけるようになりました。

ー そういった場面でスキルを活かせるのは良いですね!大学に入る前からデザインは好きだったんですか?

髙野 デザインは好きだったんですが、元々の将来の夢はファッションデザイナーでした。自分で洋服のイラストを描いたり、手作りするのが昔から好きだったんです。

ー カテゴリは違えど昔から一貫してデザインにご興味があったんですね。このCollabo Earthの空間作りでもそのスキルを活かしたりされてるんでしょうか?

髙野 そうですね。インテリアも選びましたし、建築士さんと相談しながら一緒に作りました。

ー 今日来させていただいたのは京都のE9という場所ですが、京都にはあとLE9という場所もあると思うんですが、そちらも空間デザインされているんですか?

髙野 京都のLE9についてはお部屋を改装して、会員さんの中でインテリアに詳しい方に家具を選んでいただき、作りました。

ー へー!すごいですね!

それまで世の中を斜めに見てた私に衝撃が走った

ー 髙野さんはLa HImawariを学生時代の仲間と創業されたと伺ったのですが、大学の時に起業サークルのようなものに所属されていたんですか?

髙野 いえ。学生時代にメンバーと出会ってはいるんですけど、起業したのは社会人5年目くらいの時なんです。学生時代は京都の『京炎そでふれ 大曇天返し』というよさこい踊りのサークルに所属していました。La Himawariを一緒に創業した髙坂尚平という人間が立ち上げたサークルで、友達に紹介してもらって「就活も終わったし、暇だから何かやろうかな」って感じで入ったんです。でも、もうなんていうか、その所属していた1年間がめちゃくちゃ熱くて(笑)それまで全く「起業しよう!」なんて考えもしなかったんですけど、そこで活動したことが自分の中で大きな分岐点になったというか。

見学メモ
京炎そでふれ 大曇天返し京都の大学生で構成されたよさこいサークル。演舞のすべてがサークルオリジナルの演目となり、京都をはじめ、大阪、神戸、名古屋などの祭典に参加していた。

ー どんなことを経験されたんですか?

髙野 一度私の生い立ちまで話を遡らせていただきたいんですが、幼少期から転校をしたり両親が離婚していたりとかして、人のご縁って時間的な限りがあって、いつかお別れをする前提のものだからと冷静に捉えているような人間でした。人と一緒に何かをやるとか深く人付き合いをするという行為からずっと自分を避けていたんです。学生時代もそれなりになんとなく楽しくは過ごしていたんですけど、「これから大学を卒業して、結婚して子供を産んで、そうやって淡々と何気なく生きていくんだろうな」って気持ちがずっとあって。

表面上の関わりはあるけど、本音で人と繋がったり、感情を表に出すっていう経験がその頃全くなくて。それが普通だと思っていたんです。

ー 今の髙野さんからは想像ができないですね。

髙野 最初に髙坂に出会った時も「笑顔がめっちゃ不自然」って言われたりとか。何を考えているのかわからない人だったんです。でもサークルの活動をしていく中で、髙坂のリーダーシップ性を目の当たりにしたり、人の夢ややりたいことをバカにすることなく応援してくれるサークルの空気感だったりを肌に感じたことで、それまで世の中を斜めに見てた私に衝撃が走ったんです。「こんな世界があるんだ!こんな純粋な人達がいるんだ!」って。

ー これまで出会ったことのない人たちがたくさんいらっしゃったんですね。

髙野 私は誰かの誕生日のお祝いをするのがすごく好きなんですけど、「そういうお祝いやサプライズをするような仕事をしたいんだよね」ってメンバーに話したら「めちゃくちゃええやん!そういう会社俺らも作りたいって思っててん」みたいなことを言ってくれたり。”無ければ自分で作れば良い”って発想が存在するっていうことにも衝撃を受けましたし、どこまでも自分の小さい夢や希望を肯定してくれるっていうのが人生初めての経験でした。

2013年、La Himawariをスタートした際の創業メンバー4人。大学時代のよさこいサークルの仲間。今も、一緒に事業をしたり、お祝いには駆けつけたりと仲良し」by 髙野

髙野 その時まで気持ちを閉じて過ごしていた学生生活が、サークルに所属してからバンッ!と開いて毎日すごく熱狂しながら過ごしていました。人と何かを作り上げる面白さもありましたし、とあるイベントでよさこいの演舞をした時に「うつ病で外に出られない日々が続いていましたが、みなさんの踊りを見て外に出てみようと思いました」って言ってくれる人と出会えたりとか。仲間と熱く、何かを生み出すことでちょっとでも「世界を変えることができるんだ」という感覚を持つようになって。そこから就職という道以外にも、起業をしたり仲間と集まって世界を変えたいって思って。

ー それで一度は就職して京都を出たけれど、仲間と何かをするために戻ってきたってことなんですね。

髙野 そうです。起業するタイミングで京都に戻ってきました。

ー 会社員時代はどんな会社に勤められていたんですか?

髙野 新卒で名古屋の広告会社に就職して、エステサロンや美容院などを掲載している広告メディアの営業をしていました。仕事の中で美容関連のいろんなお店に足を運ぶようになるのですが、次第に「私も自分でお店やりたいな」って思い始めて、セラピストの勉強をしながらゆくゆくは自分のお店の立ち上げも視野に入れつつ、務めていた広告会社を辞めてその後エステサロンに転職したんです。

ー へー!そこも面白い経歴ですね!

髙野 しばらくはそのお店の店長をしながら働いていたんですけど、サークルメンバーと「一緒に起業しようよ!」って話をしていた記憶が頭にずっと残っていて。熱い1年間を共に過ごした仲間と一緒に何かをやる方が面白い未来に行けそうな気がしたので、一度みんなで集まって話をして、それじゃあ実際に起業しようか!って話になったんです。

La Himawariの”La”は「精神的全裸」の”裸(ら)”からきている

ー そこで会社を始められるんですね。創業期は何人いらっしゃったんですか?

髙野 創業メンバーは私を含めて4人でした。みんな学生時代のサークルの仲間で。今から11年前の26歳の時です。当時は私が副社長で、先ほども少し名前を出した髙坂尚平という人間が代表を務めていました。

ー 1番最初に立ち上げた事業はどのようなものだったんですか?

髙野 「全国一周経営者インタビュー」っていう企画からでした(笑)

ー ええ?!(笑)なんですかそれ!(笑)

髙野 実は「全人類の”こんなの無理だ”をゼロにする」というミッションだけは決めていたんですが、事業に関しては何をやるか全く決めていないというすごく珍しい起業の仕方をして(笑)髙坂が「精神的全裸社会を作りたい」って言っていて。私自身も自分の本音を言えなかったりとか、周りに気遣って生きてきた時代があったので、自分のやりたいこととか好きなこととかを抵抗なく言える世界になったらいいなってすごく共感をしたんです。だから実は、La Himawariの”La”は「精神的全裸」の”裸(ら)”からきているんです。

ー そうなんですね!(笑)ラテン語か何かだと思っていました。

髙野 本当は最初「株式会社 裸」にしようと言ってたんです(笑)でもさすがにやばい会社だと思われるだろうって話になって(笑)そこで、私はハワイが好きで長年フラダンスもやっているんですが、ハワイ語の”La”という言葉に”太陽”って意味があることを思い出したんです。それで提案してみたら髙坂が「ひまわりの花が好きだからそれも社名に入れたい」ってなって、La Himawariになったという。クライアントさんという太陽に私たちが照らされながら生きているという意味を込めました。でも最初は「全裸」の”裸(ら)”から始まりました(笑)

ー めちゃくちゃ面白いですね(笑)ここまでがドラマの1話だったら、来週も僕観ると思います(笑)

そこから半年ぐらいは事業の企画を考えては計画書を作り直しての繰り返しでした

髙野 ありがとうございます(笑)そこで、最初に立ち上げた事業の話に戻るんですが、理念やミッションはあるけど何をするのかを決めてなかったんです。そこで髙坂が「いろんな経営者に会ったら面白いんじゃないか」って言い出して。自分たちで旅費交通費を稼ぎながら4人それぞれが別ルートで全国を行脚しようって話になったんです。

ー えぇ?!(笑)

髙野 私は最後まで「嫌だ嫌だ」って言ってたんですけど(笑)沖縄からスタートして、九州、中国地方を経由して西日本の方を回っていきました。1人で稼ぐっていうことをそれまでしたことがなかったので大変でした。私はエステサロンで働いていた経験を活かしてイベント的にマッサージをいろんなところでさせてもらったり、デザインの経験を活かして商品を作ってそれを売ったり。知り合いも全くいないのでアポなしの飛び込み訪問もしましたし、ネットで検索した経営者の方に突然電話をかけて「ちょっと話を聞きたいんですけど」ってアポを取ったりとか。

ー すっごい根性付きますよね、それ。

髙野 いやもう、ほんと大変でした。でも、自分たちに価値がないことが身に染みてわかったんです。稼げるパワーのあるものをひとつも持っていないなって。結果、2〜3ヶ月でみんな赤字になったので京都に帰ってきました。

ー とはいえやってみたことが大事ですし、とりあえず動いてみようってなってすぐに実行に移せたのは素晴らしいことですよね。

髙野 そんな経験を経て京都に帰ってきてから「ちょっといい加減しっかり事業しよう!」って話になって、イベント事業を立ち上げたんです。

ー 何系のイベントですか?

髙野 これが今考えてみればほんとにお遊びみたいな感じなんですけど、七夕のイベントをしたりとか、「みんなでロケットを飛ばそう」っていう実験イベントをやってみたりとか。あとはビジネスセミナーのようなものもやっていました。でも、当時私たちは26歳でしたし、セミナーに来られる方も年齢が若かったり学生時代の仲間だったりが多かったので、人を集めても4人が生活できるくらいの報酬が稼げる事業として成立しなかったんです。

ー なるほど。

髙野 それで、そこから半年ぐらいは事業の企画を考えては計画書を作り直しての繰り返しでした。そんな状況が続く中で創業メンバーの4人の内、私と髙坂以外の2人が別の道にいくことになりました。

当時作成していた事業契約書の表紙。創業して初めの頃は、事業計画書を作りまくる日々でした」by 髙野

~加工・製造編~

末期がんになっても手足がちぎれても私は辞めない

髙野 そんな状況になってしまったので、髙坂は「もう解散した方が良いんじゃないか」って思ったらしいんですね。でも私はその時なぜか「いや、今からでしょ?!」って思って。私はサークル時代に髙坂と出会って価値観を180°変えてもらいましたし、自分で想像できなかった未来も作ることができるんだって感覚を持てるようになったんです。仲間と一緒だったらどんなことでもできるって。だから「まだ何もしてないじゃん!」って思ったんですよ。2人は辞めちゃうけどここから改めてLa Himawariを作っていきたいって思ったので、髙坂に想いを伝えたんです。

「私は尚平と一緒にやっていくことにめちゃくちゃ可能性を感じているし、これからだと思うから。末期がんになっても手足がちぎれても私は辞めない」みたいなことを言ったんです(笑)

ー なんて熱い話なんだ(笑)髙野さん、激アツですね。

髙野 激アツだったんですよ(笑)なんか話しながら当時の気持ちを思い出しました。ありがとうございます(笑)

ー いやいやいや!ぜんぜん(笑)こっちが楽しませてもらってます!(笑)ちなみにその時はまだ髙野さんが副社長だったんですか?

髙野 その時は引き続き髙坂が代表で、私が副社長でした。でもある時、経験豊富な経営者の方や士業の方のお話を聞いていく中でめちゃくちゃ自信をなくしてしまった時期があって。とても落ち込んでいたんですが、その時に髙坂が「社長、副社長という立場で上下のある関係だと力が発揮できないこともあるだろうから、社長一緒にやろうよ」って話をしてくれたんです。そこから共同代表という形で長年やってきました。

ー エモい話ですね(笑)

髙野 あははは(笑)ちょっと色々はしょって説明してしまってはいるんですけど(笑)そんな経緯があって約10年ほどツートップでやってきました。1人で代表取締役を務めることになったのは去年の2023年からです。髙坂は創業者として今もLa Himawariを一緒に創っています。

~出荷・提供編~

Collabo Earthが起業家の聖地になったら良い

ー そこからコワーキングスペースの立ち上げに至ったのはどういった経緯だったんですか?

髙野 当時は小さなオフィスで仕事をしていたんですけど、もっと経営者の方や起業家の方が集まれて、相互支援できて、みんなの力を借りて夢を実現できるような場所を作りたいって思うようになっていったんです。そこで、コワーキングスペースのような場所を持ちたいとなってCollabo Earthが始まりました。

ー そういった経緯で始まった事業だったんですね。

髙野 そうなんです。人間って1人だけで考え事をしたりしていると、自然にマイナスな方向に物事を考えてしまうらしいんです。私の場合、そういうのを髙坂が見逃してくれなくて。私がちょっとでも心に嘘をついていたり楽しんでやっていないなってなったら、めちゃくちゃ怒るんですね。自分の可能性を信じなかった時と、自分の気持ちに嘘をついている時にすごく怒られる。だから私たちはCollabo Earthの事業の中でも、セミナー事業の中でも「1人でやらない」というのをすごく大事にしています。誰かの事業であってもみんなで集客を応援するし、みんなでアイデアを出し合ってブラッシュアップするし、ここに来ている人はみんな”誰かのためにやりたい”という想いを持ってきているんです。アメリカのシリコンバレーのように、京都を作っていきたいと考えていて、Collabo Earthが起業家の聖地になったら良いなと思っています。

「2024年7月に開催した、Collabo Earthの5周年記念パーティーに駆けつけてくれた仲間と、La Himawari&グループ会社のメンバー。ひまわりのお花もお祝いでいただきました」by 髙野

ー 絶対そうなってほしいです。なんか、少人数規模でやっている会社の話だと思えないですね。

髙野 その上でちなみにですが、私は長野県生まれで、髙坂も京都の山に近い地域出身で、お互いに自然が好きなので、鴨川の近くのこの場所に作ったんです。

ー 髙野さんが現在メインでやられているのは、Collabo Earthの運営ということでしょうか?

髙野 そうですね。あとは経営者さんのご相談を聞いたりとか、デザインの経験を活かしてセミナーやイベントの告知ページを作らせていただいたりとかですね。La Himawariとしてはコワーキング事業、セミナー事業、コンサルティング事業をやっています。あとは0から起業家さんの話を聞いて、幼少期の頃から今までの経験とか想いを聴きながらコンテンツを作って世の中に出していくっていうプロデュース事業とかもしていますね。基本的にはCollabo Earthというコミュニティが土台にあって、そこで出会った人から要望をいただいた時にコンサルを担わせていただくような感じです。

「Collabo Earth E9には、子育てしながら事業を立ち上げていく女性起業家が沢山いらっしゃいます♪子どもたちも一緒にオフィスに遊びに来てくれます^^」by 髙野

女性の人生の波や健康の波も全部ひっくるめてその人の価値にするための事業が何かできるんじゃないか

ー 今考えている新しい事業とか、面白そうだと思っている施策って何かありますか?

髙野 実は昨年2024年7月から、私がで責任を持ってCollabo Earthを展開していくという方針になったんです。会社全体の構想として、2年後をめどに「京都起業家学校」というものを作りたいと思っていて。今はコミュニティとしてやっているんですけど、その学校に行ったら起業家のいろんなノウハウが学べて、世界で活躍できる起業家を排出していけるような環境作りをしたいと思っているんです。

ー へー!面白いですね!

髙野 大学のようにコマとかゼミとかを決めて学びの支援をしようと思っています。ゆくゆくは子供達でも起業が学べたりとか。大人がチャレンジしている姿を子供達が見れる環境というか。将来的にそうやって幅を広げていきたいと考えています。元々、会員さんは男性の方が割外が高かったものの、今では半分以上が女性になってきているんですね。

ー それは髙野さんに惹かれて来ているんでしょうね。

髙野 いやいや!それだけでは本当に全くないんですけど(笑)女性は出産や子育てなどのライフイベントがあってキャリアの移り変わりも多いですし、美容や健康も大事にしたいし、家族との時間も大事にしたいという中で、仕事を通して自分の夢を実現しようってなった時には、絶対に1人じゃできないんです。だからこそ、このCollabo Earthが女性の”やりたい”を形にすることができたら、「本当に誰の”やりたい”も形にできる場所」として捉えられるようになるんじゃないかって思って。なので、現在は会員さんの中でも特に女性起業家の皆さんに力を借りて、プログラム創りなどに取り組んでいます。

ー 素晴らしい、髙野さんならではの取り組みですね。

髙野 私はすごく女性特有の体の波とか、感情の起伏もあって髙坂とかにめっちゃ迷惑をかけてるんですけど(笑)そういう感情も経営資源になるっていう考えを学んだりとか、女性の人生の波や健康の波も全部ひっくるめてその人の価値にするための事業が何かできるんじゃないかって思って。ハードルが多いと思っていた女性の人生を、むしろポジティブに捉えてエネルギーに変えていくという場所を作っていきたいです。

ー ほんとに、この記事を読んで考え方が変わる人いっぱいいると思います。

髙野 そんなこと言っていただいて(笑)これからはもっと自分も前に出なくちゃいけないなと思っていますし、発信にも力を入れていきたいと考えています。

ー 髙野さん、今日は本当にありがとうございました!

髙野 こちらこそ、たくさん聞いてくださってありがとうございます!


今回のビジネス工場見学は楽しかったですか?
髙野氏から出荷されたサービスは下記から確認してみてくださいね!

株式会社La Himawari https://lahimawari.co.jp/himawari/
La Himawari運営「Collabo Earth」https://collabo-earth.jp/

さて、次はだれの工場を見学しよう

写真 泡沫コト

7歳の頃から小説を書くことに魅了され、2018年からフリーランスライターとして活動開始。現在はwebライティングをはじめWebサイトや広告などのコピーライティングや、ゲームやイベント、映像関係などのシナリオ・脚本制作を行なっている。また、小説や詩、エッセイや写真などの表現活動を通して物語やコンセプトの創作にも取り組んでいる。好きなものは珈琲、散歩、温泉、アート、エンタメ全般。これからゲーム配信に挑戦しようとしている。

企画構成・インタビュアー・編集 いそっち

事業戦略策定、戦略に基づく戦術(マーケティング、コンセプト、コンテンツ)の企画を生業としている。 以前はアドテク業界でトレーダー、HR業界でアナリストを務める。座右の銘は「1%くらいが好きになってくれれば良い」。好きな食べ物TOP3はいちご大福、柿の種チョコ、サーティーワンのポッピングシャワー。Twitterアカウント「二村康太、曰く!@observefutamura(https://twitter.com/observefutamura)」の運用者。お仕事のご相談はお気軽にDMまで!

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