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インタビュー畠山将典(畠カンパニー株式会社)|ビジネス工場見学FILE.6

2024.07.13

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本インタビューシリーズは「ビジネス工場見学」をキャッチコピーに、経営者の頭の中を工場に例えて、どのようなプロセスを経て唯一無二のサービス創造に至ったのかを紐解いていきます。経営者の数だけ存在するビジネスの生産現場に潜入していきましょう!

この記事では
「経営者の過去の経験」を原材料の調達、「サービス立ち上げ」を加工・製造、「サービスローンチ」を出荷・提供という名称で表現しています。

第6回目となる今回は『畠カンパニー株式会社』の代表取締役である畠山 将典氏を訪ね、畠山氏の頭の中にある「工場」での経営プロセスや考え方を見学させていただきました。

畠山氏は現在、大阪府枚方市内で「くずはホースマン」と「淡路島ええとこどり」という和食居酒屋を2店舗経営されております。近年では”釣りYouTuber”としてご自身のチャンネル「はたけフィッシング」を立ち上げられたり、農業も始められました。

今回のインタビューで特に際立ったのが、畠山さんの多面的かつ自由な発想と、自力で好きなことや面白いと思ったことを突き詰めてやり遂げるそのバイタリティでした。この記事を読んだ後、あなたの中にある”飲食業”への印象がガラッと変わるはずです。

畠山将典(畠カンパニー株式会社)

1981年生まれ。大阪府出身。大阪府立桜塚高校の野球部においてエースピッチャーとして活躍し、3年生の時に大阪大会の決勝まで進む。その後野球推薦で関西外国語大学 英米語学部に進学。卒業後はワタミ株式会社に新卒で入社し、その後一貫として飲食業界に身をおく。ワタミ株式会社でフランチャイズ店の経営を学んだ後、独立。現在は枚方市内の居酒屋を2店舗経営しながら、YouTuberとしての活動も行っている。自身で海に出向いて釣った魚をお客様に無料で提供したり、さらには畑で野菜を育てるなど、独自スタイルを突き詰めた飲食店経営に邁進中。

ー 畠山さん、本日はよろしくお願いします。

畠山 よろしくお願いします。

~原材料の調達編~

小さい頃の夢にも「父親の後を継ぐ」って書いていたのを覚えています

ー 早速なのですが、畠山さんのファーストキャリアを伺ってもよろしいでしょうか?

畠山 はい。新卒でワタミ株式会社に入社しました。今年43歳なので、もう20年前の話になります。初めは京橋の店舗に配属でした。その後9ヶ月で店長になって、谷町四丁目っていうオフィス街の店舗や守口市の店舗、京都では木屋町通や河原町通にもいました。

ー 元々ワタミで働こうと思ったきっかけってなんだったんですか?

畠山 渡邉美樹さんが登壇された就職説明会に参加して「ここすげえ」って思ったのがきっかけです。一発で「ここに入ろう」と決めました。その当時は400名くらい採用していて、関西には40名ほどが配属されるような年でした。

ー 説明会には「飲食業界で働きたい!」という気持ちがあって、それで行ってみたんですか?

畠山 そうですね。考えていた業界は飲食だけでした。高校1年生の頃から大学までずっと居酒屋でアルバイトしてて、結構自信あったんです。両親も大阪の十三というエリアで喫茶店を営んでいて。

ー 畠山さんの家は経営一家のような感じですか?

畠山 弟2人は飲食とは全然関係のない仕事をやっています。僕は昔から両親が飲食店経営している姿を見ていて、小さい頃の夢にも「父親の後を継ぐ」って書いていたのを覚えています。

ー ご両親は嬉しかったでしょうね。

畠山 比較的近年の話ですが、両親のお店ごと僕の会社に仲間入りするって話をしていた時もあったんですけど、なんだかんだで今も健在でやっていますね。もう70歳を超えているんですけど。

ー ご両親はずっと十三で喫茶店をやられているんですか?

畠山 そうですね。もうかれこれ40年以上やと思います。レトロな純喫茶で、料理もまだ自分たちで作っていますよ。父は和歌山県出身で10人兄弟の末っ子やったんですけど、親族の多くが料理に携わっている仕事をしていて、父も大阪に出てきて洋食をやっていました。他の兄弟も飲食店をしたり料理長をしています。

ー 畠山さんも小さい時から飲食店に限らず経営をするための教育を受けたんですか?

畠山 僕は全然なかったです。僕は野球推薦で関西外国語大学に行きました。中学校からずっと野球をやっていたので。

高校で初めてピッチャーをやるようになって、大阪大会の決勝まで行きました

ー ポジションはどちらだったんですか?

畠山 ピッチャーです。元々野球はめっちゃ下手くそやったんです。身長も当時小さかったですし。中学1年生の時、キャッチボールもまともにできないようなところから始めました。その時はセカンドを守ったりしながら地道に続けて行って、高校に入ってからピッチャーに転身したんです。

僕が高校1年生の頃は20人くらい入部したんですけど、ピッチャーとキャッチャーが1人もおらんかったんです。それで夏終わりからピッチャーをやっていました。サイドスローで。それで高校3年生の時に大阪大会の決勝まで行きました。

ー ちょっと待ってください!(笑)才能の塊じゃないですか(笑)

畠山 ほんまに偶然が重なってです(笑)特別野球が上手かったわけでもなく、強豪校で練習したわけでもなく。体重も57kgくらいしかなかったですし。

ー すごいですね(笑)じゃあ青春時代はガッツリ野球をやられて、夜は居酒屋でバイトしてたんですか?

畠山 そうですね。公立高校やったんですけど、17時30分から定時制がある高校やったんですよ。なので15時に授業終わって、もろもろの準備なんかも含めると練習は1時間半くらいしかできなかったので夜はバイトしてました。朝は朝練していましたけどね。

ー 野球は小さい頃から好きだったんですか?

畠山 うーん、特にそういう感じでもなかったです。野球が上手い友達がいて、その友達に連れられるように中学校から野球を始めた感じでした。別に僕は上手くなかったので、高校に入ってピッチャーになっていなかったら多分レギュラーも逃していたと思います。

ー へー!

畠山 さっきも言ったようにそれで大学には推薦で行かせてもらって。1回生からエース投げさせてもらって。

ー もうなんか、めっちゃかっちょいいですね(笑)

畠山 大学時代も、なんか、ずっと投げてました(笑)

ー 4年間大学で野球をやられていたと思うんですけど、就職の時期に野球を辞めて就職しようって決断されたんですか?

畠山 そうですね。4回生の時にエースを取られたんですよ。それでもう野球は辞めようと思って。その新しくエースになったチームメイトはプロに行ったんです。森跳二っていう選手で、広島に行ったんですけど。当時145kmとか投げてる子やったんで。それはもう「しゃあないな」と思って、僕は引退しました。

とりあえず「新卒の中で最初に店長になる」という目標を掲げてやってました

ー それで就職されてワタミの新卒になったんですね。入社当時ってどのような職務をされていたんですか?

畠山 基本的にはアルバイトさんと同じようなことをやります。皿洗いをしたり接客をしたり。そこから現場で仕事をひとつずつ覚えていって、副店長になるとキッチンや発注を管理するようになります。そこから店長になるとマネージメントから採用、教育などの人に関わることも全部やるようになります。

ー じゃあまずは現場で覚えなさいって感じなんですね。

畠山 はい。基本は現場です。アルバイト時代からの接客の経験もありましたし、料理を作れるようになっていたので自信はありました。なのでとりあえず「新卒の中で最初に店長になる」という目標を掲げてやっていました。結果、関西で最初に店長になれたんですよね。

ー その当時を振り返っていかがですか?

畠山 毎日が怒涛でした。売上が高く席数の多い新卒を受け入れる店舗の店長を”母店店長”と呼ぶんですが、その立場になったのが23歳の頃でした。そこから数年店長をやった後に26歳でエリアマネージャーになるんですけど、突然「2週間後に北海道に異動」って言われたんです。

ー え?!

畠山 「昇格やから」って言われて(笑)その時まだ子供が1歳くらいの時やったんですけど、僕だけ単身で北海道に赴任することになって。でもその当時も「同期の中で1番最初にエリアマネージャーになる!」って気持ちでいたので抵抗はなかったです。多忙ではありましたけどね。管理職やったんで、勤務時間とかも関係ないですし。

ワタミは「会いに行って謝罪をする」という姿勢が基本やった

ー 店舗の売上も追わないといけないですし。

畠山 そうですね。あとクレームの対応がめっちゃ大変でしたね。その当時7〜10店舗を見ていたんですけど、クレームが入ってきた時は店長ではなくその上司が対応することになっているんですよ。ワタミは「会いに行って謝罪をする」という姿勢が基本やったんで、電話だけで終わらせるのではなくどこまでも会いに行って直接お話させていただきたいってスタンスなんです。

ー どんな感じに対応するのか、ひとつ実例って聞けたりしますか?

畠山 家族でレジャー施設に遊びに行っていた時に本部から直接僕に連絡が入ったんです。「お客様からクレームが入りました」と。すぐに電話をして「大変申し訳ありません…!今すぐお伺いさせていただきたいです!」って伝えたんですけど、僕の電話口からレジャー施設の音楽がずっと流れていたので「お前どこおんねん!!行かれへんのにお伺いしたいとか言うな!」って言われて電話を切られてしまったんです。

それで家族に「ちょっと俺今から行ってくる」って伝えて、そのお客様にもう一度電話をかけて「今からお伺いさせていただきます」って言ったんですね。そうしたら「その気持ちが大事やねん。最初から行かれへんような感じで話してきたからあかんねん」って怒られて。それで自分も成長したというか。

ー なるほど。クレームが全部悪いものじゃないってことですね。

畠山 そうですね。そういうのはいっぱいありますね。

ー 他の居酒屋チェーンさんって同じようなクレーム対応をされてるんですかね?

畠山 どうなんですかね。ワタミイズムだとは思います。毎週月曜日の早朝に、先週あったクレームの種類とその顛末を報告するんですよね。1人ずつお客様に向き合うような形で。

ー 僕の勝手な所感で申し訳ないのですが、これまで漠然とやっぱり「ブラック」って世間的な印象が僕の中にも根付いていたんです。でもその話を聞いたら本質はクライアントファーストを追求した結果なんだなと思えて印象が変わったというか。究極のクライアントファーストというか。

畠山 そうですね。「ブラック」って言われていても、実際僕はそんな感じじゃなかったんですよ。週休2日以上取ることもありましたし。

ー 畠山さんが当時やられていたポジション(店長やエリアマネージャー)において、必要な素質って何がありますか?コミュニケーション力とかでしょうか?

畠山 コミュニケーション力もそうですし、あとは背中で見せることができる人だと思います。

ー めちゃくちゃ面白いですこの話。それで、北海道に行かれてからはどんな感じでお仕事されていたんですか?

畠山 北海道に異動になって1年くらいでしんどくなって、上司に「やっぱり関西に帰りたい」って伝えたんです。そしたら「良いけど降格ね」って言われて。だから僕は店長に降格して関西に帰ってきたんですけど、3ヶ月後くらいにはエリアマネージャーに戻してもらえました。その時は京都、兵庫、ミナミ、京阪エリアなど関西のほぼ全域を担当しました。

店長、エリアマネージャーときて次のステップは部長職なんですね。部長になると関西や中国四国、九州といった地方単位のエリアを見ることができるのでそのポジションを目指そうと思っていました。でもその時に東日本大震災が起こって。

~加工・製造編~

抱負は”負けを抱く”と書く

ー 2011年ですね。

畠山 はい。東日本がとても大変な状況で、ワタミも緊急事態宣言を出して「向こう1年は昇格をなくす」って発表が出たんです。

僕の中では「ワタミ5ヵ年計画」のようなものを当時立てていて。2012年に部長になるという目標を持ってずっと仕事をしていたんですけど、その計画にずれが生じてしまうという事もありワタミのDFC制度というものを利用して独立を決めたんです。

ー じゃあ最初はフランチャイズとして独立されたんですね。

見学メモ その1
フランチャイズ加盟金や毎月一定のロイヤリティ(権利使用料)を支払うことで、本部が保有する経営に関わる商標の利用権やサービスの販売権などが取得できるシステムのこと。ほとんどの場合本部からノウハウのレクチャーなどを受けることができるので、学びながら経営ができる点がメリットと言える。

畠山 そうです。「ワタミの店舗をオーナーとして経営できる」っていう制度なんですけど、それを利用して株式会社を設立しました。

ー なるほど。自由に経営しながらロイヤリティを払う仕組みですね。それが何歳の頃ですか?

畠山 30歳の時に決心して、31歳で独立でしたね。ワタミの社員としては9年半働きました。

ー とはいえ独立する際って怖さもあるかと思うのですが、それはどのように払拭しましたか?

畠山 その当時、あるセミナーを受けたんです。名古屋で萬乗醸造という酒造メーカーを経営されている久野九平治さんという方のセミナーがあって、ワタミの幹部研修の一環で参加しました。

見学メモ その2
萬乗醸造愛知県名古屋市緑区に構える酒造メーカー。1789年に創業し、主屋や作業場などの醸造施設が有形文化財に登録されている。代表的な銘柄に「醸し人九平次」などがある。

そこで久野さんが「抱負は”負けを抱く”と書く。つまりリスクを背負うことで大きく前に進むことができる」とおっしゃっていて。当時の自分に置き換えた時に「自分は全然リスクを背負えていないな」って感じたんです。ちょうど子供が小学校に上がるタイミングでしたし、家も買ったばかりで。だから「リスクを背負って全部やったろう!」と、このセミナーをきっかけに思えるようになりました。

ー そんなことがあったんですね!まさにターニングポイントですね。すでに背負うものがたくさんあって「負けらんない」ってなって、それで独立されて。

畠山 はい。なので今年で12年目ってことになります。 

ー 独立されて1店舗目はどちらの地域にあったんですか?

畠山 大阪の門真市にある古川橋というエリアで始めました。フランチャイズとしてワタミのお店を借りて運営をしたんですが、ワタミがちゃんと経営を教えてくれるバックアップやサポートがあったので結構守ってくれましたね。

ー へー!なんか聞けば聞くほどいい会社ですね。

畠山 そうですよ。全然いい会社ですよ。その1店舗目を2012年10月から経営し始めて、半年後には2店舗になっていました。さらにまた1年後には3店舗目といった感じで。京都も大阪も攻めていけるということもあって、拠点を枚方にしました。

ー フランチャイズから抜けたのはどれくらいの時期なんですか?

畠山 コロナ禍の直前くらいですね。その当時僕はワタミのオーナー会の理事長をしていたんです。

ー ええ?!笑

畠山 理事長でした(笑)70人くらい会員がいる中で、毎月東京に行って理事会を開いたり飲食界隈で有名な方をお呼びして勉強会を開いたりとか。そういう立場やったんですけど、ワタミを辞めて自分の業態だけでやっていくことにしました。

でもあの時に辞めていなかったら、直後にやってきたコロナ禍で本当に大変な思いをしていたと思います。フランチャイズの時は店舗数結構持っていましたし、結局コロナ禍で周りの人は耐えられなくなってお店を閉めてしまったりしていたので。

「自分で釣った魚を自分のお店で出せるな」って思った

ー フランチャイズから改めて自分の業態として独立された直後にコロナ禍になってしまったと思うのですが、その当時の店舗経営はいかがでしたか?

畠山 幸い協力金をもらえたという部分と、飲食以外の事業を展開しようと思い立って馬肉のドッグフード事業をやったんです。そこで売上を作れました。

ー どんな商品だったんですか?

畠山 馬のスペアリブというものを自分で開発して、それをAmazonに店舗を持つ販売店に自分で梱包して卸していました。コロナが落ち着いてからちょっとずつ需要が減っていったんで、今はもうクローズしています。

ー いやぁ、素晴らしいですね…。もうなんか圧倒されています(笑)

畠山 あとは釣りのYouTubeも始めて。

ー 釣りは元々お好きだったんですか?

畠山 小さい頃から父親に淡路島まで釣りに連れて行ってもらっていたりしていて大人になってもちょこちょこ行ってたんですけど、それまで趣味でガッツリやっていた訳ではなかったです。でも「自分で釣った魚を自分のお店で出せるな」って思ったので、ちゃんと釣りに勤しんでみようかなと。それで「どうせ釣りをするんやったら動画も撮ろう」って思ってYouTubeに動画を上げ始めたら想像以上に再生が回ったので「これいけるな」って。

ー 僕も拝見したんですけど、畠山さんの動画めっちゃ好きで。編集しすぎない動画の雰囲気が、昔のニコニコ動画を彷彿とさせてなんか懐かしい気分になりました。

畠山 今は畑で野菜を育てたりもしてるんですけど、将来的には釣り以外にもそういったコンテンツを動画で届けるようにしたいですね。それでお店にきたら、動画で出ていた食材が食べられるという仕組みでやれればなと。

ー 本業のかたわら、そういった形で財産となっているYouTubeのファン(登録者)に向けて面白い発信をされているんですね。

畠山 ちなみに今店舗の公式LINEに700人ぐらい登録者がいてるんですけど、そこで釣った魚をほとんどプレゼントしているんです。

ー え?!そうなんですか?!

畠山 そうなんですよ。うちは馬肉屋さんなので、魚を売ってしまったら業態がブレちゃうので。だからプレゼントしています。めっちゃ格安で盛り合わせにして。

ー 振る舞うんですか?

畠山 振る舞います(笑)

ー お店もそうですけど、畠山さんご自身にファンが付いてそうですね(笑)お客さんの層は何歳くらいの方が多いですか?

畠山 40〜60代の方ですね。枚方には企業団地というものがあって、大きい企業に務められている方々が結構来られたりするんです。なので会食とかで使われたり。

ー ほー!いいですね。

今回お伺いした「くずはホースマン」は馬肉をメインとした業態。すぐ近くに「淡路島ええとこどり」という店舗もあり、そちらでは淡路島の特産を味わうことができる。

~出荷・提供編~

お店の中の料理は全部自分で作っている

ー 正直、今日のインタビューを通して僕がこれまで抱いていた飲食業への印象がガラッと変わりました。漠然と辛かったり大変だったりする印象があったので。畠山さんを見ていると純粋に楽しそうです。今までの畠山さんのご経験の中で、飲食で独立を目指している人たちへのアドバイスって何かありますか?

畠山 独立して自分のお店を経営し始めてからは、しんどいとかそういう気持ちが全然ないんです。やりたいことをやっているので。自分の城を持つのは早ければ早いほど良いとは思うんですけど、好きだから続けられたっていうのが大きいですね。

ー 今の仕事が好きなポイントって特にどこになりますか?

畠山 料理ですかね。お店の中の料理は全部自分で作っているんですよ。

ー えっ?!じゃあずっとキッチンに立たれてるんですか?!

畠山 そうですよ(笑)結構売れる日にキッチン1人の時とかもあります(笑)

ー ええええ?!(笑)可能なんですかそんなこと。週1定休で、もちろんお店の全体の管理もやられている訳じゃないですか。

畠山 可能なんですよ(笑)

ー すごすぎる(笑)

畠山 12時か13時くらいにお店に来て仕込みをして夜はお店に立っていて、もう1店舗(淡路島ええとこどり)は業務委託の店長が切り盛りしています。アルバイトさんの給与は僕が払っていて、運営は全部任せるような形で。社員は雇用してなくて、店長には売上に応じて報酬を渡しています。たくさんお店を持っている時は社員教育とかもしていたんですけど、結局自分でやった方が楽なんですよね。教えることが1番大変なので。

ー バイタリティがすごいですね。

畠山 なんでも最初は「あ、これ全部自分でできるな」って思っちゃうんです。だからお店のメニュー表とかもAdobeのIllustratorで作ってますし。業者さんに頼むとお金も時間もかかったり、仕入れる商品もその日で変わったりしますから。例えば「今日は良い鯖が入ったな」って思ったら自分で写真撮って、Illustratorで加工して、値段つけてラミネートまでしちゃえば早いしお金もかからない。日本酒も全部自分で仕入れて、自分でメニューを作ってます。

テーブルの上や壁に張り出されているメニュー表まですべて畠山さんのお手製

ー 周りの飲食関連のお知り合いで、畠山さんのように全部自分でやられている方っていますか?

畠山 うーん、でもやっぱり店舗に立たずに経営している人が多いですね。

ー 店舗に立つのも料理作るのも苦じゃないし、自分で料理を作って美味しいって言って食べてもらえているのが幸せというか。

畠山 そうですね。家でも料理作ってますよ。だから家の献立が全部居酒屋メニューになってます(笑)

ー あはは!(笑)いやぁ、ほんとおもしろいなぁ。これインタビュー始めてどれくらい経ちましたかね?えーっと。あれ52分。え?まだ1時間経ってないんですね?!めっちゃ濃い(笑)

畠山 あははは(笑)

一回どうしてもやりたいんですよ、自分で(笑)

ー 今後今よりも店舗数を増やすとか、そういった計画っておありですか?

畠山 店舗数を増やすよりも、今の店舗をリブランディングしようかなと思っています。

見学メモ その3
リブランディング顧客のニーズや方針・目的に合わせて、既存の企業ブランドを再構築すること。時代の潮流の中で他社との差別化を図り、ブランドの価値を高めるために実行するものと言える。

ー 結構上手くいっているように思えるんですが、またなぜリブランディングなんですか?

畠山 さきほどもちょっと触れたんですが、将来的に自分で釣った魚や育てた野菜を使って商品提供するという取り組みをメインでやろうと思っているんです。そのためのリブランディングですね。

ー もう完全に自給自足でやっていこうとしているんですね。

畠山 そうですね。まずはくずはホースマンで試そうかと。馬肉の他にも牛、豚、鶏や魚など結構色んな食材を扱ってきたので、ある程度のものは調理できるんです。低温も真空も。圧力鍋を使ったり、炭も扱ってますし。あと今ラーメンとかも出してるんです。

ー ラーメンもご自身で作られてるんですか?!

畠山 今スープは仕入れているんですけど、元々はスープも自分で炊いてました(笑)

ー まじですか!(笑)

畠山 豚骨仕入れて(笑)一回どうしてもやりたいんですよ、自分で(笑)

ー あははははは!(笑)

畠山 自分が食べたいラーメンを作りたいんです。博多の細麺の豚骨ってこの辺のエリアで提供しているお店があまりないので、出したいんです。ウチはお酒も出しているので、締めに食べるのにもちょうど良いですしね。

ー なるほど。お客様はこの畠山さんのインタビューを読んでからお店に来ると、2倍楽しめますね(笑)なんとか色んな人に読んでもらいたい。畠山さん、今日は本当にありがとうございました!

畠山 こちらこそありがとうございます!


今回のビジネス工場見学は楽しかったですか?
畠山氏から出荷されたサービスは下記から確認してみてくださいね!

くずはホースマン https://r.gnavi.co.jp/nf0wbe7f0000/
淡路島ええとこどり https://www.hotpepper.jp/strJ001135109/
YouTubeチャンネル「はたけフィッシング」https://www.youtube.com/@hatakefishing

さて、次はだれの工場を見学しよう

写真 泡沫コト

7歳の頃から小説を書くことに魅了され、2018年からフリーランスライターとして活動開始。現在はwebライティングをはじめWebサイトや広告などのコピーライティングや、ゲームやイベント、映像関係などのシナリオ・脚本制作を行なっている。また、小説や詩、エッセイや写真などの表現活動を通して物語やコンセプトの創作にも取り組んでいる。好きなものは珈琲、散歩、温泉、アート、エンタメ全般。これからゲーム配信に挑戦しようとしている。

企画構成・インタビュアー・編集 いそっち

事業戦略策定、戦略に基づく戦術(マーケティング、コンセプト、コンテンツ)の企画を生業としている。 以前はアドテク業界でトレーダー、HR業界でアナリストを務める。座右の銘は「1%くらいが好きになってくれれば良い」。好きな食べ物TOP3はいちご大福、柿の種チョコ、サーティーワンのポッピングシャワー。Twitterアカウント「二村康太、曰く!@observefutamura(https://twitter.com/observefutamura)」の運用者。お仕事のご相談はお気軽にDMまで!

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