マガジン

インタビュー 太藤一平(株式会社パルス)|ビジネス工場見学 FILE.3

2023.08.22

本インタビューシリーズは「ビジネス工場見学」をキャッチコピーに、経営者の頭の中を工場に例えて、どのようなプロセスを経て唯一無二のサービス創造に至ったのかを紐解いていきます。経営者の数だけ存在するビジネスの生産現場に潜入していきましょう!

この記事では
「経営者の過去の経験」を原材料の調達、「サービス立ち上げ」を加工・製造、「サービスローンチ」を出荷・提供という名称で表現しています。

前回のビジネス工場見学に引き続き第3回目となる今回は、『株式会社パルス』の代表取締役社長である太藤一平氏を訪ね、太藤氏の頭の中にある「工場」での経営プロセスや考え方を見学させていただきました。

『株式会社パルス』は大阪府・京都府・兵庫県で6店舗展開されているバイク屋さん。3代目となる太藤氏のお話は、第1回目、第2回目のインタビューとはまた違う立ち位置でお客様との血の通ったやりとりを大切にされている企業です。

昔から続く小売業であるそのサービスは、どのような経験が原材料となっているのでしょうか。そして今日に至るまでどのような加工を施されてきたのでしょうか。太藤氏の製造過程の秘密をお見せしたいと思います。

太藤一平(株式会社パルス 代表取締役)

1978年にバイク屋の長男として生まれる。兵庫県出身。小さい頃から小売業を間近で見て育ち、大学は東京の立教大学に進学。在籍中は新宿歌舞伎町でキャッチ居酒屋でアルバイト。卒業後、2002年に株式会社オービックに入社。サラリーマンとして働きながら個人事業主の動きを学ぶ。約3年間従事した後、独立し居酒屋を経営しようと試みるも当時の設立メンバーの1人が離脱し中断。家業であるバイク屋『株式会社パルス』を継ぐ。現在店舗数を6店舗に増やし、社会情勢を読みながら整骨院業のプロジェクトも進めている。

ー 本日はよろしくお願いします。

太藤 よろしくお願いします。

ー 一平さんのおじいさま様が元々自転車屋さんをやられていて、後を継がれたお父様がバイク屋さんへ転換。一平さんは3代目としてバイク屋さんを経営されています。経営者となる以前の話から現在のことまで色々お伺いしていきたいと思います!

~原材料の調達編~

バイク屋の経営は祖父の代から3代目。でも全然興味がなかった

ー それでは早速ファーストキャリアの話や学生時代の話とかまで聞いていきたいんですけど、自転車屋さんからバイク屋さんに転換しているような家系で育ってきた中で、昔から二輪車が好きだったりしたんですか?

太藤 それはもう全然興味がなかったですね。

ー 全然興味がなかった!?

太藤 興味なかったです(笑)僕の父も祖父の自転車屋を継ぐ気が全くなかった人でした。僕も大学入学がきっかけで東京に出てきたんですけど、卒業しても兵庫に戻るつもりはありませんでした。ただ小さい頃から商売が身近にあったので、ゆくゆくどこかで自分の商売をしようという気持ちはありました。

ー なるほど。じゃあ社会人になる前から将来的に商売をするつもりだったんですね。学生時代はどんなアルバイトをしていたんですか?

太藤 僕は、えーっと、歌舞伎町のキャッチ居酒屋って分かります?今もあるのかな?

ー ありますあります。

太藤 今の居酒屋とかカラオケのキャッチ文化は歌舞伎町が元祖なんですけど、その文化が出始めた初期の頃にキャッチ居酒屋でバイトしてたんですよ。

ー えー!

見学メモ その1
キャッチ居酒屋キャッチ(客引き)をして顧客をお店に勧誘する居酒屋のこと。キャッチは主に路上で行われ、平成26年の迷惑防止条例改正により現在は厳しく規制されている。

太藤 大学生の時はずっとそこでバイトしてました。

ー それは東京出てきてすぐに始めたバイトだったんですか?

太藤 いやえーとね、最初はいくつか転々としてました。というのも僕自身、能力にすごい偏りがありまして。

ー 偏り?

太藤 現場の仕事が本当にできないんですよ。元々どっちかっていうと勉強とか運動とかは器用にこなすタイプで、ある程度のところまではすぐできるみたいな感じだったんです。でも東京に出てきてバイトし始めたら、本当に使えないやつだったんですよね。

現場仕事があまりにもできなくて、バックヤードに移された

ー そうなんですか!

太藤 もう本当にダメでした。例えばお客さんに料理を取り分ける時も、賢い人とか感覚値がある人って分量を計算してちょっとずつ薄く取り分けられると思うんです。でも僕は目分量でやってしまうので最後足りなかったりして。お皿を片付ける時も大きいお皿の上に小さいお皿をちょっとずつ重ねていくことが出来なくて、小さいお皿の上に大きいお皿を乗せて割ってしまったり。そういうのが本当に多かったです。

ー それは、意識して改善しようとするけどやっぱりダメだったんですか?

太藤 うーん、そうですね。そういうのを丁寧に教えてくれる仲の良い友達がいて、言われた時は「ハッ」となるんですが応用が効かないというか。全く同じシチュエーションで同じことは起こらなくても、後々振り返ると根本的には同じ間違いをしていたりして。だから働く先働く先でめちゃめちゃ疎まれました。あまりにも使えないので門番と掃除係としてバックヤードに移されて、みたいな。そういうのが1年くらい続きました。

ー 1年!!

太藤 それで「俺、社会に出たらあかんかもなぁ」って、結構沈んでた時期があって。その時になんかの拍子で新宿の歌舞伎町のキャッチの話を聞いたんですよね。当時キャッチの時給ってめちゃめちゃ安くて時給500円くらいだったんですけど、でもその分歩合制だったのでお客さんを連れていったらプラスでもらえて。そこで営業の姿勢が作られたんだと思います。

ー それは仕事の内容に適性があったんですか?

太藤 そうですね。その時に「仕事っていうのは向き不向きがあるんやな」って思って、自分に向いてる仕事をやろうってなったんです。そういうことに早いタイミングで気付けたのは良かったなと思います。

ー 普通の人だと社会人3〜4年目で気付くようなことを、学生時代に気付いちゃったんですね。

太藤 ラッキーでした。

ー 新宿でお仕事をされていた時、卒業して「東京にずっと骨をうずめる!」みたいな気持ちはありましたか?

太藤 それはありました。最初にお話しした通り関西に帰るつもりは全然なくて、何年間かサラリーマンをした後に商売をしようと思っていました。元々は就職せずにそのキャッチ居酒屋で起業するつもりだったのですが、ちゃんとしたBtoBの仕事を1回やってみようと思って大学卒業後は株式会社オービックに就職しました。

見学メモ その2
B to B「Business to Business」の略で、主に企業と企業の間で行われる取引を指します。企業が一般の消費者に対してモノやサービスを提供する形を「B to C」という。

ー オービック社に決めたのは何が理由だったんですか?

太藤 今は当時より規模が大きくなっているんですけど、僕が入った時はどっちかというと中小企業寄りの会社だったんですよね。かつ当時扱っていたシステム案件の取引って1案件で相当規模の大きな話になってくるので、最終的に取引が決まる際は社長が表に出てくる必要があって。中小企業の社長さんとイチ営業マンで会話ができる機会って普通だと中々無いなと思って選びました。いずれは小売の仕事をしようと思っていたので、他の小売業界の企業も受けていたんですが。結果として社長さんとお会いできるオービック社を選んだっていう経緯ですね。

ー 色んな小売業界を受けて合格をもらっていたけどオービック社を選んだんですね?

太藤 そうですね。割りとすぐ決まったんですよね。

ー 実際入社してみて働いていた数年を振り返ってみていかがでしたか?

太藤 僕にとってはすごく良い会社でした。オービック社もゴリゴリの営業会社なので、成績さえあげていれば何も言われないみたいな感じで。キャッチ居酒屋の時の経験が役に立ったのか分からないのですが、1年目から成績は良かったんです。ただ”大きな規模の仕事をひとつ取ったら1年間は働かない”みたいな働き方をしてたので、成績はあげていたんですけど周りの人や上の人からは好かれていなかったと思います。

ー 日本的な妙な疎まれが……。

太藤 そうですね……。ただ2年目の時に岡城さんっていう上司がきて、その人は僕のスタンスを全部受け入れてくれたのでそこからはずっと2人で動いてました。

雇用されている中で学んだ個人事業主としての動き

ー サラリーマンとして雇用はされているけれど、個人事業主のように動ける環境だった。ということでしょうか?

太藤 感覚的にはそうですね。自分もそういうつもりで仕事をしていたので残る時は全然徹夜で仕事したし、しなくていい時はもう全く何もしなかったしっていう感じでした。注文書のルールや様式に関してもさっき名前が出た岡城さんは、クライアントと話す中で発注してもらえそうな時はその日のうちにExcelで自分で作った注文書を持って行って、ハンコをもらって持ち帰ってくるみたいな。圧倒的にそっちの方が効率が良いんですよ。そういうのを間近で見てて「あ、そうなんや」ってすごい楽になったんですよね。

会社の形式よりも「自分が接してる相手がOKで、僕の方もOKで」ってお互いの了承を得られれば、それで仕事って成立するんだなみたいなのを教えてもらった気がして。そのスタンスは割と今も続いているかもしれません。形式にはあんまりこだわらず、どっちかっていうとお互い仕事をする相手とのコンセンサスの方を大事にしています。

ー その後起業される訳ですよね。サラリーマン経験を経て、入社前と比べて独立に対する見方や考え方に変化はありましたか?

太藤 「最終的に小売の仕事をやろう」という元々の考えに変化はなかったですね。ちっちゃい頃から身近に小売という商売があったから好きだったんです。ストック型の小売業の良いところって、実際のお金のやりとりがあるところなんですよね。相手が喜んでくれてこちらもそれに見合ったお金をもらって。そこで関係が終わるんじゃなくて自分がやってる商売が良いものだったらどんどん膨らんでいくし、悪いものだったら潰れるし。すごくシンプルでわかりやすい。フェアな仕事やなっていうのは凄くありますね。

見学メモ その3
ストック型ストック型ビジネスモデルを意味する言葉。事前にインフラや仕組みを整備し、一度の契約で利用客との関係を築くことで、その後も長期間にわたって持続的な収益を生み出すビジネスの手法。

ー なるほど。

太藤 だから長期的に見たときに上手くいくところはやっぱり必要とされるお店だと思うし、そういう商売をやってるっていうのは自分にとって健康的というか。お金を稼ぐことも好きなんですけど、その背後に良いと思われてるっていうのがあるから好きなので、お金が稼げれば何でもいいっていう感覚で働いたことはないかもしれないですね。それもある意味本人はそういうつもりではないと思うんですけど、うちの父親も変な儲け方はしないっていうそういう働き方をする人だったので。

ー 商売への考え方は昔から一貫してたんですね。

太藤 そうですね。そんな経緯で3年くらいサラリーマンをしてある程度経験も溜まったので、いよいよ自分の商売をやろうかなってなりました。

~加工・製造編~

ちゃんと質を改善したお店をやれば絶対負けへんちゃうかなって思っていた

ー 事業家になった時は大変でしたか?

太藤 いやもう全然そんな感じはなかったですね。それもやっぱり自分はラッキーで。自分で何か事業を始めるのって、世間的には「崖がある」みたいな印象で中々飛び出せない人が多いと思うんですけど、僕はもうそういうのが全くなくピョンピョン飛んでました(笑)

ー 「最初はキャッチ居酒屋で起業しようと思っていた」とおっしゃっていたと思うのですが、実際に起業しようと思ったタイミングでもそれは変わらず?

太藤 はい。当時の居酒屋って場所や食事の質を抑えて固定費を安くしていたので、1回だけの食事で、その後はリピートされないお客さんが多かったんです。それを見てちゃんと質を改善したお店でキャッチをやれば絶対負けへんちゃうかなって思っていました。それでオービックの同僚の男の子に一緒にお店をやろうと声をかけて一緒に辞めました。

ー へ〜!!

太藤 でも会社からすごい怒られました。誘った同僚は物事をコツコツ積み上げるタイプだったので、会社の評価がめちゃめちゃ高くて。不良社員に引っ張られたみたいな感じで、僕が呼び出されたりもしたんですけど。それでも一緒にやるって言って辞めて。その後にもう1人……今HUBってあります?

ー あります。パブですよね。

太藤 そこで大学時代にアルバイト先の中華料理屋で一緒だった仲間が店長をやっていて、お店周りのこと全部出来るのでその子も誘いました。この2人で最初やるつもりでテナントも探してほぼ決まってたんですけど、そのHUBの店長をやってた彼がそのタイミングで子供ができて。やっぱり辞められないってなったんですよ。

ー そうすると最初の2人で?

太藤 そうなんですけど飲食の中のことは僕もオービックの同僚の子も何も知らなかったので、どうしようかって悩んでました。その時に僕の父からバイク屋継承の誘いが来て、同僚も元々関西だったので「まあバイク屋も面白いんちゃうん?」みたいな話でバイク屋にシフトチェンジしたんです。ただバイク屋をやる前の旅行で、その同僚とめちゃめちゃ大喧嘩して(笑)

ー 大喧嘩したんですか!?

太藤 そうなんですよ。それでも最初は2人でバイク屋をやっていたんですが、バイク屋に関してもスタンスの違いで揉めたりして。多分その旅行の時からずっと心に溜まってたものがあったんですよね。ぶわーって一気に言われて。ただバイク屋のことに関しては僕が悪かったので謝ったんですが、もう一緒にやれへんって感じで辞めてしまいました。

~出荷・提供編~

事業における距離感を気にして良いバランスを保つ

ー 今はおひとりで、もしくは別の方と一緒にやられていますか?

太藤 高校の同級生で1人賢い男の子がいて、その子を誘いました。今は相方みたいな感じで一緒にやってます。ただ前の時の失敗があるので距離感は結構気にしてやってますね。良くも悪くも以前は本当に仲が良すぎたので。今のパートナーとも仲が悪いわけじゃなくて2人でご飯もいけるんですが、良いバランスは取るようにしています。

ー なるほど。例えばどのような距離の保ち方をされているかお伺いしたいです。

太藤 タイプも違うし業務も完全に分かれてるのもありますが、社内的に褒めるようにしてます。自分は出来ひんけどこいつは凄いって。素直にそう思いますし。

ー 素直に褒めるって素晴らしいですね。新しいパートナーの方と組んでやり始めた時は1店舗での展開でしたか?

太藤 いや、僕の父がやっていた時点で、兵庫県の尼崎市というところに小さいお店ですが4店舗ありました。ただ僕たちが入ったタイミングはちょうどネットでバイクを調べて買うみたいな流れが来ていた時で、同じ地域に密集してあるのは損やなと思ったのでさらに大阪市と大阪の茨木市、京都に2箇所の計4店舗出しました。店舗を広げる前は、わざわざ長い距離と時間をかけて兵庫のお店に滋賀県から買いにきてくれるお客さんもいて。でもバイクって、売った時はそんなに儲からなくても買ってもらった後のアフターで利益が出ることがあるんです。そうするとお客さんはメンテナンスで通わないといけない。そういう意味でもエリアを分けた方が良いんじゃないかと思って広げました。

ー 現在は6店舗を運営しながら、従業員も雇われていると。

太藤 もちろんもちろん。

ー 何人くらいの方がいらっしゃるんですか?

太藤 えーとね、トータルで30人くらいです。

ー 結構いらっしゃいますね!技術職と販売職ですか?

太藤 大きい店舗は分かれているんですが小さい店舗は両方兼ねています。

ー 各店舗に責任者がいる形で。

太藤 そうですね。店長がいます。

ー 平均年齢ってお伺いしてもいいでしょうか?

太藤 最近若くなったんですよね。30歳くらいちゃいますか。

ー えっ、若いですね!

太藤 元々僕が入った時は父の代から働いていた方達がほとんどだったんですが、その人たちが定年になったり辞めていったりして人が入れ替わって。今は30歳から35歳くらいの人たちが中心ですね。

ー 凄い……。これから店舗展開とかもし考えられてたらお伺いしたいです。

太藤 元々二輪の方は乗り物としての未来を明るくは見てなかったんですよ。結局、自動車が電動化になってその後自動化が来たら「二輪の乗り物はなくなるよな」っていうイメージが朧げにあったんで。過去のお店は凄く上手くいっていて今このタイミングでお店を出せば絶対に利益は出るんですけど、バイク屋さんって1店舗出すのに絶対3000万円はかかるし、人の問題もあって中々バイクの店舗展開っていうのは考えてなかったんです。その代わり既にある店舗の収益率を上げていくことをずっとやってきました。

でも近年でちょっと業界の流れが変わってきています。電動化は始まりましたが「僕が生きてるうちに自動化って来えへんのちゃうかな」「時間軸がちょっとズレてたな」って思ったんです。あとは電動化になったときに、バイクが家電扱いになって大型家電量販店とかと競争することになったらちょっとキツイなと思っていました。でも結局 電動自転車とか電動バイクの走りみたいなやつが出てきた今も、各メーカーさんはやっぱり大きい量販店じゃなくて街の小売り店と付き合いたがっていて。

それってメンテナンスが減ることになったとしても、タイヤの空気圧とかブレーキとかそういう細かなアフターって無くならないからなんです。そうすると大きい量販店に集めて持って帰ってもらう商売じゃなくて、できれば各街にある小売店が面倒見てくれる方がいいなっていう。

ー うんうんうん。

太藤 だから家電量販店と競わないんだったら電動バイクになった時にまた大きい需要が生まれるので、アクセル踏んでもいいかなって最近考えています。ここ5年くらいである程度はっきりすると思うんですけど、もし電動の世の中になったらバイクショップの方も出店はしていきますね。

ー なるほど。当たり前かもしれないですけど、めちゃくちゃ先まで読んでますね。

太藤 いやいや、そんな緻密な根拠があるわけじゃなくて。「多分そうなるだろうなあ」っていう予想です。

ー 元々全く興味無かったって仰ってましたけど、今バイクには乗られてるんですか?

太藤 全然。それは多分できないジャンルの1つなのでやらないようにしてますね。店には立ってるんですけど、ただそれは販売業務を行っているだけでバイクを触ったりは全然して無いですね。

ー 社長がお店にいるって珍しいですよね。

一貫して大切にしたい小売業のフェアさ

ー バイク以外にも今興味を持ってることとか、ネクストステップじゃないですけど、そういう展望ってお持ちですか?

太藤 整骨院の事業ですね。

ー 整骨院!またガラッと変わりますね。整骨院の事業をされる際は、自分がお客さんとして何店舗か回って研究したりするんですか?

太藤 最初は回りました。幸運なことに技術はもう腕のある技術責任者がいて彼を信用しているので技術力はあんまり調べていないんですけど、どんな風にやってるのかなっていうのを見るために20店舗くらい行ったと思います。

ー やっぱりお店によって全然質も違うんですか?

太藤 いやいや、それがほとんど一緒なんですよ。多分コンサルが入っていて新卒で入ってきた子達に一連の流れを教えることになっていると思うんですけど、言われた通りにやるだけなんですよね。だから身体を診ることもできひんし、こういう風に触ったら身体がこう変わるからこうしようっていう方針も立てられなくて何もできない子たちが生まれている気がします。

僕らは基本的に手技にこだわっているので、売上が立てられるようになるまでは時間もかかるし効率はよくないんですけど、少なくとも3年くらいしっかりやればある程度一人前の施術者になれるんです。そっちの方向性でやってます。

ー なるほど。

太藤 とにかく出店したエリアにずっとその院が残れるように、本当に必要とされる院を作る。やっぱり業界的に独立したがる方が多いので、入ってきた子達が後々独立するのであれば会社とタッグを組むじゃないですけど、その子がオーナーとしてフランチャイズみたいな形で店舗を出したり、それこそお金が無いのであれば最初全部会社が出してある程度収益が出たら権利を何%か立ち上げた人に渡したり、色んな形があるんじゃないかなと思っています。ケースバイケースで。

見学メモ その4
コンサルコンサルタントの略。対個人や対企業の顧問や相談役。
フランチャイズ既成の成功したビジネスモデルを他の個人や企業にライセンスとして提供する仕組み。フランチャイズ加盟者や加盟店は、一定の料金やロイヤルティを支払いながら、本部のサポートを受けながら事業を運営することができる。
ケースバイケース個々の事例や状況に応じて個別に判断や対応を行うという意味の表現の1つ。

太藤 「誰かのために」みたいなものとは違うかもしれないですが、多分商売の形としてお金を介してやりとりするのがフェアやなっていうのが根っこにあって。お客さんに感謝されてお店として上手くやっていきたい。だから従業員にもちゃんと合わせるし、効率を求めて結果的に入ってきた子達が独立して失敗するより、効率は悪くてもしっかり技術を教えてお互いのお店が小売業として上手くやっている方が自分の中で優先順位が高いのかもしれません。

ー 素晴らしいですね。本日は貴重なお話しありがとうございました!


今回のビジネス工場見学は楽しかったですか?
太藤氏から出荷されたサービスは下記から確認してみてくださいね!

『株式会社パルス』HP http://www.pals-net.co.jp/

さて、次は誰の工場を見学しよう。

文章・写真 泡沫コト

7歳の頃から小説を書くことに魅了され、2018年からフリーランスライターとして活動開始。現在はwebライティングをはじめWebサイトや広告などのコピーライティングや、ゲームやイベント、映像関係などのシナリオ・脚本制作を行なっている。また、小説や詩、エッセイや写真などの表現活動を通して物語やコンセプトの創作にも取り組んでいる。好きなものは珈琲、散歩、温泉、アート、エンタメ全般。これからゲーム配信に挑戦しようとしている。

企画構成・インタビュアー・編集 いそっち

事業戦略策定、戦略に基づく戦術(マーケティング、コンセプト、コンテンツ)の企画を生業としている。 以前はアドテク業界でトレーダー、HR業界でアナリストを務める。座右の銘は「1%くらいが好きになってくれれば良い」。好きな食べ物TOP3はいちご大福、柿の種チョコ、サーティーワンのポッピングシャワー。Twitterアカウント「ふたむら、曰く@observefutamura(https://twitter.com/observefutamura)」の運用者。お仕事のご相談はお気軽にDMまで!

インタビュー実施場所

Studio HEYA(スタジオ・ヘヤ)

東京・西日暮里にあるキッチン併設のハウススタジオ。
朝も夕も自然光が差し込む2階の南西向きに位置しており、木とアイアンとヴィンテージ家具がバランスよく調和する空間です。
ファッションポートレートや商品撮影、キッチンシーンを取り入れたライフスタイルカット、自然光を活かしたレシピカットなど、さまざまなシーンの撮影に適応できます。

スタジオの詳細が知りたい方はこちらから!(https://heya.lamm.tokyo/)

マガジン