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インタビュー ふたむら康太(経営のための創造社)|ビジネス工場見学 FILE.1

2023.06.23

本インタビューシリーズは「ビジネス工場見学」をキャッチコピーに、経営者の頭の中を工場に例えて、どのようなプロセスを経て唯一無二のサービス創造に至ったのかを紐解いていきます。経営者の数だけ存在するビジネスの生産現場に潜入していきましょう!

この記事では
「経営者の過去の経験」を原材料の調達、「サービス立ち上げ」を加工・製造、「サービスローンチ」を出荷・提供という名称で表現しています。

記念すべき第一回となる今回は、本メディアを運営する『経営のための創造社』代表のふたむら康太氏にインタビューを敢行しました。

『経営のための創造社』はデザインやクリエイティブ力をベースに経営課題を解決する新しいかたちの企業です。消費者のニーズと企業の持つシーズ(=技術やサービス)を適合させる“戦略的クリエイティブ”を武器に、経営者やリーダーと並走するクリエイティブ部門の執行役を担っています。

唯一無二の発想であるそのサービスは、どのような経験が原材料となっているのでしょうか。そして今日に至るまでどのような加工を施されてきたのでしょうか。その秘密を探っていく中で見えてきたのは、理性と感情の化合を追い求め続けてきた ふたむら氏の過酷な研究の日々でした。

ふたむら康太(合同会社経営のための創造社 代表取締役)

1978年生まれ。愛知県出身。2002年 株式会社サイバーエージェントに入社。自社メディア部門に勤務し、構築と運用に携わることで収益化の難しさを知る。退社後に独立。フリーランスのwebデザイナーとして従事し、営業と品質担保の日々を過ごす。その後フリーランス時代の経験を活かし、webプロダクションの役員となる。大手から中小企業まで様々なブランディングやマーケティング業務を10年間務め、デザインのみならず営業・経営といった網羅的なスキルを身につけていく。2018年に『経営のための創造社』を設立後は、企業のマーケティングやブランド戦略構築・運用のインハウス化を支援。更には戦略に基づいた施策設計と実行に必要なパートナー選定を担い、いわば企業のCCO代理としてチーム編成や監督までをも行う。現在では地方創生や地域中小企業の事業支援コンサルティングを行う株式会社SASIと連携し、企業にデザイン経営を推進するべく邁進中。

ー 本日はよろしくお願いします。

ふたむら よろしくお願いします。

ー 質問項目はいくつか考えて来てはいるのですが、形式ばっても面白くないので「脱線上等!」な感じで気負わず話してもらえればと思ってます。

ふたむら ハイハイ、了解です。

~原材料の調達編~

仕送りも止まってるし、足りないんでお金借り続けてたよ。消費者金融から

ー まずは時間をずーっと遡って二村さんの新卒時代の話を聞いていきますね。

ふたむら 新卒っていうか、大学卒業してからすぐ働いてなかったけど。

ー 早速面白そうな展開が(笑)

ふたむら 卒業してからデジハリ(デジタルハリウッド)に入学したんだけど、授業が週に1回しかなかったのね。そんな時にFromAを読んでたら株式会社祥伝社って会社の求人募集記事を見つけて。「Boonという雑誌のウェブ版を立ち上げる」って書いてあったから興味もあって応募したら採用されてそれで働き始めた。デジハリで学んだIllustratorでショップマップ(店舗までのアクセス情報を小さく簡略化した地図)をめちゃくちゃ作ってたんだよね。報酬は月5万円くらいだったかな。

見学メモ その1
デジハリマルチメディアコンテンツ系予備校および大学を運営するデジタルハリウッド株式会社の通称。
FromA株式会社リクルートホールディングスがかつて発行していたアルバイト求人誌。1982年に創刊し、2009年からタウンワークへ一本化された。
Boon30~40代男性向けストリート総合情報マガジン。2008年に休刊となったが、2014年に復刊。2015年までに復刊3号まで発売された。

ー 当時は祥伝社の仕事だけしてたんですか?

ふたむら そうそう。昼に出勤して夜中まで仕事するんだけど、タクシーに乗って帰るお金も無いからそのまま泊まって朝に帰るって生活だったんで。他に時間も割けず月5万だけで生活してた。

ー 5万円しか貰えないけど、それでも自分のスキルとして大事だと思ったから続けてたと?

ふたむら そうだね。私服で働けたっていうのも大きい。スーツを着たくないって想いがあったんだよね。あとは「なるべく自分が好きな業界」に絞りたくて。ファッションとか音楽に関係する仕事が良かった。それと一緒に働く仲間も面白かったし。先輩達は20代ながらフリーランスで年収1000万円とか稼いでたから「あ、僕もそんな感じになるんだ」って思ってた。

ー それがいわばファーストキャリアだったんですね。

ふたむら そうだね。23歳頃。仕送りも止まってるし、足りないんでお金借り続けてたよ。消費者金融から。

ー そんな時代が(笑)まぁ5万円ですもんね…「早く稼がないと!」って焦ってましたか?

ふたむら あんまり思わなかったんだよね(笑)

ー あ、思わなかったんですね(笑)

ふたむら 仕事は面白かったからね。お金が稼げてもつまらない仕事は絶対選びたくなかったから。

「いくら作品を作っていてもインプットを疎かにすればスキルも底をつくぞ」

ー その後サイバーエージェントに入社してますね。どんなプロセスを経て入社に至ったんですか?

ふたむら そもそものきっかけはデジハリの卒業制作だったのね。ミュージックビデオが当時から好きだったから映像を作ろうと思ったんだけど、レンダリングするのに十分なスペックを積んだパソコンは高くて買えなかった。でも動く作品を作りたかったからAdobeのFlashでアニメーションを作ることにしたのね。そしたらその作品が優秀賞を獲って。

見学メモ その2
レンダリングコンピュータ上の数字や文字の羅列を、人間が認識できるレベルまで変換する作業のこと。
Flash正式名称「Adobe Flash」。アドビが開発していた動画・ゲームなどを扱うための規格、またそれを作成・動作させるアプリケーションの総称。2000年代初期にインターネット上で散見されていたアニメの大半がFlashを用いたものだった。

ー へー!すごいですね!

ふたむら それがきっかけで制作会社に雇ってもらったんだよね。ナイキのサイト制作とかを担っている会社だったから「ここで働いていたらスキル身に付くな」なんて思ってたんだけど、給料がまた絶妙に安かった(笑)

ー どれくらいですか?

ふたむら 月で12万円くらい。3ヶ月経つとインセンティブがもらえる制度だったから合計で20万円くらいになる予定だったけど、見習い期間は12万円くらいなのね。それで家賃8.5万円の賃貸に住んでたよ。

ー それはすごいですね…(笑)

ふたむら 借金しないと食えなかった。別に貧乏でも不満じゃなかったんだけどね。そんな生活をしてた時にたまたまサイバーエージェントの子会社に面接に行く機会が巡ってくるんだけど。

ー それはどんな経緯でですか?

ふたむら 実は祥伝社で働く前に少しだけビームスの雑貨店で働いてたのね。すぐ辞めちゃったんだけど。その当時に重衣料フロアの人が「俺も今日辞めるんだよね」って話しかけてきて。「君、これから何やるの?」って言われて「僕デザインの勉強してるんでデザイナーになろうと思ってます」って話したら「俺独立するから名刺作ってよ」って言われたの。それで作ってあげたらすごい喜ばれて。

ー それは嬉しいですね。まだまだ駆け出しの頃。

ふたむら そしたら「ウチの奥さんがサイバーエージェントって会社にいるんだけどデザイナー募集してるらしいよ」ってその人が教えてくれたのね。

「サイバーエージェントって何だろう?」って思って。当時知らなくて。面接も受けるかどうか悩んでいたら、先輩に「金がないとインプットできないし、いくら作品を作っていてもインプットを疎かにすればスキルも底をつくぞ」って言われて。「確かにそうだな」と思って、サイバーエージェントの面接にいくことにしたんだよね。

それで子会社の面接を受けて、面接し終わって渋谷マークシティのエレベーターを降りて1階に付いた時に電話が掛かってきて「合格なんですが、来ますか?」って言われて(笑)

ー 結果出るのはっや!!(笑)

ふたむら そうそう(笑)それで、12万円の制作会社を辞めてサイバーエージェントの子会社に入った。入社してからはHTMLメールのデザインとかバナーのデザインをずっとやってて。それで数ヶ月後にサイバーエージェント本体に子会社が全て吸収されますってなったんだよね。吸収されてから初めての面談の時に「いつ社員になれますか?」って聞いたら、「じゃあ明日からでいいよ」って上司に言われて。それで社員になったね。

「会社にこのままいたらどんな人生になるんだろう」って考えると嗚咽するようになった

ー 社員になってからは何年務めたんですか?

ふたむら 3年だね。基本的にはエンタメ系のメールマガジンのデザインをやってた。プロデューサーが企画したものをデザイナーが作る役割を担うんだけど、その当時プロデューサーだった平田さんって人との仕事がすごい面白かったんだよね。

ー 相性が良かったんですね。

ふたむら 言葉で伝えてくれた内容を自分なりに咀嚼してどんなデザインにしても良いって感じだったからすごく面白かった。でも働いていく中で他の先輩にデザイン分野について指導してもらうことは一切なかったのね。ここにいたらデザインの善し悪しの基準が分かんないなと思ってすごい辞めたくて。「会社にこのままいたらどんな人生になるんだろう」って考えると嗚咽するようになった。転職活動もしてみたんだけど、“井の中の蛙大海を知らず”って感じの作品しか作ってないから受け入れられなくて。選考も次に進まないって感じだった。

ー そんなことがあったんですね。

ふたむら でもそれで客観的に自分の状況を知ることができたから学校に行ってみようと思って、海外の広告関連の学校を探し始めたのね。過去に旅行で訪れて一番素敵だと思ったストックホルムに行きたくなってスウェーデンの学校に願書を送ったりして。そんな中、スウェーデンには学費がタダで通える芸術学校があることを知って、そこの寮に入って勉強するって決めたのね。

ー スウェーデンは授業料無償ですもんね。

ふたむら まぁ結果的にメンタル病んじゃって行かなかったんだけど。

「よくこんなんで今までやってこれたな」

ー 後半は結構暗い気持ちで働いてました?それとも序盤からですか?

ふたむら んー、半分くらいからかな。でも決して暗くはないね。楽しいが故に、そしてラクが故にすごく不安になる感じ。「こんなところにいて良いんだろうか」みたいな。

ー それなりの経験はさせてもらったけど、自分としては不安な部分はあったってことですね。

ふたむら そうそう。数字をちゃんと追いかけるマーケティング的な思考は培われていったんだけど、次は純粋にデザインがしたいなって思った。

ー デザイナーとして働いていたら創造性ではなく合理性が身に付いたという。

ふたむら 若かったっていうのもあるけど、世の中全般の消費者が認めているようなものをやりたいって思った。それでリハビリも兼ねて名古屋の制作会社に入ったの。でも正社員ではやりたくなかったから業務委託で常駐って感じで。丸2年くらいかな。

デザインについて先輩や同僚が色々教えてくれる環境だった。改めて自分のスキルが全然通用しないんだなっていうのがそこで分かったよ。

ー 全然ダメだったんですか?

ふたむら 入ったばかりの頃だけどね。けちょんけちょんに言われた。「よくこんなんで今までやってこれたな」みたいな。悔しかったけど、不思議と「そうだよな」って納得する自分もいたね。そこから「自分にはデザインの理論がない」と思ったから、理論の本を読むようになった。そしたら先輩や他の仲間たちも認めてくれるようになって。

ー すげーよかったですね。

ふたむら すげーよかったです、それは。世の中の評価をそこでなんとなく分かったっていう感覚。

「ヘタレだね」

ー 自分の市場価値もそこで知ることができたから、一度は振り出しに戻っちゃったかもしれないけど、その2年間はすごく良い経験だったってことですね。

ふたむら それでその後はディレクターをやらせてもらったの。デザイナーって末端の作業者みたいなイメージがあったから、やっぱりその地位を上げたいと思ったのかな。佐藤可士和さんとかを見て来てたから。ロジックを持って表現に落とし込むアートディレクターをやりたかった。

でも僕がやったのはアートディレクターではなくて、プロマネの要素が強いwebディレクターだったのね。スケジュール作ったり調整をする仕事で、その頃は楽しくなかったの。そうしたらwebディレクターの先輩からまたけちょんけちょんに言われて。資料作ってもずっと差し戻されたりとか。それで吐いてしまうくらい会社に行きたくなくなって。

ある時「ディレクターって楽しいですか?」ってその先輩に聞いたら「え?楽しくないよ」って言われたのね。「仕事なんだから楽しいわけないじゃん」って。それで「給料下がっても良いんでデザイナーに戻してもらえませんか?」って言ったら「別にいいけどヘタレだね」って。

「デザイナーってヘタレなのかぁ…」って思ったけどもう絶対ディレクターにはならないってその時は誓ったね(笑)

ー そうやってけちょんけちょんに言われてた時代って「ジェネラリストこそがビジネスの頂点!」みたいな考え方があって多様性が推進されてないからプロフェッショナルに対して高圧的だったとか?

ふたむら いや、みんながみんな思ってたわけではないんじゃないかな。考え方が合理的なのかもしれない。ジェネラリスト職に比べたらデザイナーって明らかに給料上がらないからね。それはそれまでの経験で痛感していたので。「営業的にならないと無理だな」って。

ー デザイナーに戻って仕事は楽しかったですか?

ふたむら そうだね。デザインの仕事自体が辛いと思ったことは一度もないかな。どれだけ時間がかかっても、どれだけ夜中になろうとも辛いと思わないんだよね。

~加工・製造編~

自分の価値観や理想を発信することによってそれに見合った人が集まってくる

ー しばらく名古屋で務めて、その後はどうされたんですか?

ふたむら メンタルも少しずつ落ち着いてきたから東京にもう一回行くことにしたんだよね。さっき話した平田さんに東京に帰る話をしたら「なんか一緒にやろうか」ってなったから行く気満々になったんだけど、平田さんは全然違う会社の執行役員になったっていう(笑)「平田さんが呼んだから帰ってきたのになんすか!」みたいな。半分冗談で言ってたんだけど(笑)

ー 平田さんが結果的に東京に連れ戻してくれた感じ。

ふたむら まあね。それで東京に戻ってからwebプロダクションの会社で役員を10年務めた。

ー 経営に携わりながらデザインも兼任していたって形だったんですか?

ふたむら 仕事自体はもっと上流で、プロジェクト推進がメインだったかな。web戦略を作ったり、プロデューサー的な立ち位置で仕事を持ってきたりもしてた。

ー そこで上流のプロセスを経験して、それを展開させて自分の仕事にしていこうと思い立ったのが『経営のための創造社』だったと。

ふたむら そうそう。根本的にはWeb3のDAOのような考え方が好きで、そういうのがやりたかった。自分は一人で良くて社員はゼロ。とりあえず仕事をちゃんと前向きにできるプロばっかりを集めてチームを組成すればいいじゃんって思ったのね。だから自分が一人のプロデューサーで現場も経営も全部やれば良いんだって。

見学メモ その3
Web3ブロックチェーンやトークンベース経済などの要素を基盤とした次世代のインターネットのかたち。特定のプラットフォーマーに依存する中央集権的な仕組みではなく、データを個人に分散させることを目的としている。
DAOWeb3から生まれた概念であり、分散型自立組織(Decentralized Autonomous Organization)を意味する。ブロックチェーン上で世界中の個人が協力して運営する組織のこと。

ー デザインのスキルもあるしちゃんとビジネスとしてお金を作る上流のアトラクトからクロージングまで経験してるから、経営のための武器はもう気が付いたら持ってたって感じだったんですね。コンセプトや方針はどのように決めていったんですか?

ふたむら 「自分さえ良ければ良い」とか「ご都合主義」とかがそもそも好きじゃないのね。

昔ある上司に「これって作っただけじゃ誰も見に来ないと思うんですけど、SEOとか気にしなくていいんですか?」って聞いたら「うちはただのデザイン会社だからそこまで気にしなくて良いんだよ」って言われてがっかりした。こういう考えは本質的ではないといつも思っているよ。サイバーエージェントで培ったロジカルシンキングや成果を上げないと意味がないって価値観が沁みついているのかも。とにかく自分だけが、自分の家族だけが、自分のチームや自分の会社だけがOKなら他は気にしなくて良いって考えが好きじゃない。

見学メモ その4
SEO検索エンジン最適化(Search Engine Optimization)の意味。検索エンジンの検索結果でwebサイトが上位表示されるように調整を行うこと。

クライアントが本当に求めていることを実現してあげて、更にこっちも気持ち良い状態を作る仕事をしないと意味がないから。ちゃんとそこにプライドを持ってて、経営のことも分かってて、相手の気持ちも慮れるクリエイティブ集団がいたら最強なんじゃないかなって思ってやり始めたんだよね。

ー なるほど。めっちゃくちゃ面白いっすね…!

ふたむら まだ全て実現はできてないけど、同じ価値観を持っている人とは出会えているかな。こうやって自分の価値観や理想を発信することによってそれに見合った人が集まってくるから、自分の思ってることを全部素直にストレートに言わないといけないなって思うよ。

経営のことが分かるクリエイティブ職の人達を全国から集めて、各地でクライアントの支援ができている状態。更にそこにインセンティブがあったりとか、本当にDAO的な状態の会社になっていたら良いなと思うかな。

~出荷・提供編~

何かを提案するよりも引き出す・聞き出すってことに意識を持っていっている

ー いま世の中に提供しているサービスを教えてもらっても良いでしょうか。

ふたむら 『経営のための創造社』は中小企業に対してブランディングとDX関連の支援をメインに行っていて、受注・発注先っていう関係ではなくて、あくまでもクライアント内部に入り込んでクリエイティブの執行役として外部の協力会社を選定したり、営業戦略を考えたりみたいなことまでやっています。

見学メモ その5
DXDigital Transformationの略。ほとんどの場合、デジタル技術を活用した業務の効率化や産業の構造革新を意味する。

ー 通常の制作やDX推進は割と局所的な現場ごとだったりすると思うんですけど、それを経営課題に寄り添ってやっているところが大きな特徴ですかね。

ふたむら そうだね。

ー 企業さんとの取り組みの具体例があれば伺いたいです。

ふたむら 衝撃による物質の変形量を電気信号で検知できるセンサーを張って、材料にどれくらい衝撃が与えられたら壊れてしまうのかの計測を実施している会社さんがいるのね。その会社さんのHPリニューアルに携わらせてもらってて。

リニューアルをするにあたってまず、理念やMVVのような「どういう軸を持って会社を経営しているのか」ってヒアリングを行っていったの。「その目的に到達する戦略はあるのか」とか「その戦略に基づいて組織はどういう構造になっているか」とか「どういうお客さんがそのファンとしてふさわしいのか」とか。

経営方針として決まっていないことも多かったから、まずはそれを決めていくことから始めましょうって話をして、それを決めるためにはどんなプレーヤーが必要なのかとか、どういうチームを作ると実現できるのかっていう細かい話合いを半年ほどやって、今のステータスとしてはワイヤーフレームを作り始めたりデザイン・トンマナを作り始めたりしている状況って感じかな。

見学メモ その6
MVVMission・Vision・Valueの頭文字をとったもの。企業がなすべきこと、あるべき姿、やるべきことを策定したもの。
ワイヤーフレームwebページのレイアウトを定める設計図のこと。
トンマナWebデザインにおいて、コンセプトや雰囲気に一貫性をもたせること。

ー ありがとうございます。ふたむらさん、取り組みの中で話を聞いてるから当たり前かもしれないんですけど、人様のサービス説明すごく上手いですね(笑)

ふたむら ははは。そう?(笑)調べて知っていくだけではなく、ヒアリングを通して理解してるって感じかな。

ー でもそれができるのが一番理想ですよね。「理解」っていうのが。

ふたむら 協力会社に対しての全体像の説明とかは僕がやったりするからね。

ー クライアント企業と物事を決めていくプロセスの時に意識していることはありますか?

ふたむら こっちから何かを提案するよりも引き出す・聞き出すってことに意識を持っていっているかな。コンサルのような立場で提案すると相手は「そうなんだ」って受け入れちゃうじゃない。

でも本当にそれが良かったのか分からないまま進んでしまう可能性もあるから、基本的にはたくさん質問をしていって、相手が考えたものをアウトプットしてもらう作業を繰り返しているかな。

ー なるほど。あくまでも判断・決断をするのはその会社さんですもんね。

ふたむら そうそう。ちなみに話が逸れちゃうけど、僕は自分の息子に対しても「こうしたら良いんじゃない?」って絶対言わないようにしてるんだよね。自分で考えて行動しないと将来決断できない人間になっちゃうから。勉強のスケジューリングとかも手伝わないで、遊びと勉強のバランスも勝手に決めて良いと思ってる。その代わり「何も努力しないまま悪い結果が出たら、努力しないやつだなって信用しないよ。それでもいいんだったら怠惰に過ごせば良い」って言ってる。

ー 良い教育ですね。

ふたむら 学校から帰ってきたら普通に遊びに行くし、ゲームもしてるけど、塾にはちゃんと行って受験勉強もやってる。僕が見る限りでは遊んでる時間の方が圧倒的に多いなと思うんだけど、それでも点数は上がってきてるみたいで。だからなんか、勉強漬けですっごい嫌な生活をして受験受かるみたいなのも悪くないけど、楽しい方が良いじゃんそりゃあ!って思うから前時代的な教育はしてない。

ー 『経営のための創造社』のHPに「企業がオンリーワンになるための戦略的クリエイティブ」って書いてあるじゃないですか。この言葉の裏には今の話でも分かるようにふたむらさんイズムがすごく詰まっている感じがして。指示やアドバイスをそのまま実行していたら、その時点で人まねになっちゃうし、業界ナンバーワンになってもオンリーワンではないから。

ふたむら 自分にとってはセミナーとかビジネス本とかもあんまり役に立たないのよ。ビジネス本は「なるほどな」って答え合わせのために読むけど。それよりも対話の中から自分の血肉に変えていく方が一番良い。人と話してるのが一番勉強になるからね。

ー 素晴らしいですね。その言葉、世の中のビジネスマン全員に教えてあげたいです。セミナーやってみるっていうのはどうですか?(笑)

ふたむら ははは!(笑)


今回のビジネス工場見学は楽しかったですか?
ふたむら氏から出荷されたサービスは下記から確認してみてくださいね!

『経営のための創造社』HP https://keisosha.co.jp/

さて、次は誰の工場を見学しよう。

企画構成・インタビュアー・文章 いそっち

事業戦略策定、戦略に基づく戦術(マーケティング、コンセプト、コンテンツ)の企画を生業としている。 以前はアドテク業界でトレーダー、HR業界でアナリストを務める。座右の銘は「1%くらいが好きになってくれれば良い」。好きな食べ物TOP3はいちご大福、柿の種チョコ、サーティーワンのポッピングシャワー。Twitterアカウント「ふたむら、曰く@observefutamura(https://twitter.com/observefutamura)」の運用者。お仕事のご相談はお気軽にDMまで!

写真 泡沫コト

7歳の頃から小説を書くことに魅了され、2018年からフリーランスライターとして活動開始。現在はwebライティングをはじめWebサイトや広告などのコピーライティングや、ゲームやイベント、映像関係などのシナリオ・脚本制作を行なっている。また、小説や詩、エッセイや写真などの表現活動を通して物語やコンセプトの創作にも取り組んでいる。好きなものは珈琲、散歩、温泉、アート、エンタメ全般。これからゲーム配信に挑戦しようとしている。

インタビュー実施場所

Studio HEYA(スタジオ・ヘヤ)

東京・西日暮里にあるキッチン併設のハウススタジオ。
朝も夕も自然光が差し込む2階の南西向きに位置しており、木とアイアンとヴィンテージ家具がバランスよく調和する空間です。
ファッションポートレートや商品撮影、キッチンシーンを取り入れたライフスタイルカット、自然光を活かしたレシピカットなど、さまざまなシーンの撮影に適応できます。

スタジオの詳細が知りたい方はこちらから!(https://heya.lamm.tokyo/)

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