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ハイパーサブジェクティブカルチャー論 β版|ケイソウシャのコンテンツNO.5

2024.02.13

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※この記事のテーマに合わせ、文章の大半は筆者の主観で書かれています。

「好きなことで、生きていく」。

今から遡ること9年前の2014年。HIKAKINをはじめとする著名なYouTubeクリエイター数名が、YouTube Japan公式チャンネルの動画に登場した。各々がかつて何者であって、どのような経緯で動画投稿を始めたのか。その裏側がそれぞれ30秒の動画にまとめられているというものだ。HIKAKINが当時でさえ440万人の登録者を誇っていたことからも、その職業に対する強い憧れの眼差しが10や20なんかじゃなかったことは容易く想像できる。想像に難い人は東京の繁華街から星を見上げているのかもしれない。


しかしそんな人気を集めるクリエイターであっても、世間からの風当たりは強かったはずだ。

筆者の仮説として、きっと理由はこんな感じだっただろう。


「長い歴史の中でも前例のない働き方であるし、素人だからなんとなく鼻につく」


もしもこの仮説が間違っているのであれば教えて欲しい。

ではここからは、この仮説が”間違っていない”場合の話である。
「なんとなく鼻につく」。さて、これは一体なぜだろう。

「自分の境遇よりもポジティブな境遇にいる人を妬む」

「好きなことで、生きていく」。
これは、先に紹介した動画の最後にインサートされたメッセージだ。


文字通りクリエイター達は毎日襟付きシャツに腕を通す必要もなければ、満員電車の中で隣り合った人の新聞の天気予報欄を観て「傘をもってくればよかった」なんて後悔することもない。当時はDX推進などまだまだ一部の企業だったはず。数百の顧客候補リスト1件1件に対して、初対面にも関わらず「大変お世話になっております」と嘯きながら商品紹介の隙を狙う営業者で溢れていただろう。今や誰もがデジタルマーケターの時代。インターネットがマーシャル・マクルーハン曰くの「熱いメディア」「冷たいメディア」のどちらにカテゴライズされるのかまでは知らない。ただ個人の可能性において「ホット」な時代であることは確かである。


では2024年の常識を2014年の人間がどのように評価するだろう。
「ありえない」「ズルい」「そうなったら良いけど、10年後か…」
きっとこんなところだ。


「なんとなく鼻につく」。それはつまり「自分の境遇よりもポジティブな境遇にいる人を妬む」ということなのではないかと筆者は思う。
妬む。その気持ちは良くわかる。
好きなことで生きることができていない人たちからしてみれば、好きなことで生きている人たちは憎い。誰だって好きなことで生きていきたい。


お前らはズルいんだ、と。

しかしクリエイター達にはきっとこんな言い分があるだろう。


「ただ私たちは、踏み出した」

かつては誰もが何者でもなかったはず

ハイパーサブジェクティブカルチャー論は、合同会社経営のための創造社・代表であるふたむら康太が発足したコミュニティ「未来の生物のための文化研究会」(通称:ミラケン)の実験イベントである(英語ではHyper-Subjectivecultual Theory超主観的文化論と翻訳する)。


そのβ版が2023年11月、西日暮里にあるStudioHEYAで実施された。


これは「好き」という初期衝動を継続させるための”自己効力感”の醸成を目的としたもので、

客観的事実や知識ではなく主観を用いてカルチャーを論じるというシンプルな内容になっている。


ルールはただひとつ、「否定をしないこと」。
マナーとしては「発表者に関心を持ち、問いかけること」である。

子供の頃のように、誰かとの比較なしに何かを好きでいることは難しいのだろうか。どれほど好きな気持ちが強くても、プロフェッショナルの知識量にまで至っていないと認めてもらえないのだろうか。仕事にもできないのだろうか。世間にすでに用意されている肩書きや職種を手にするために、わざわざ自分の中の正直さを打ち消して既存のプロフェッショナルセオリーに適合させていくことが果たして多様性と呼ぶにふさわしいのだろうか。

前段にて例に挙げたYouTubeクリエイター。かつては誰もが何者でもなかったはずだ。ただ、踏み出した。ではなぜ踏み出せたのか。それは自分たちの中に絶対的な自信があったからだ。それがあれば誰でも踏み出せるはず。では、如何にして絶対的な自信を持てば良いのか。

それがつまり”自己効力感”なのだと筆者は確信している。

自己効力感(Self Efficacy)
「自分ならできる、きっと成功する」と思える認知状態のこと。
自己の存在自体を認める”自己肯定感”とは異なり、自分の能力・スキルを信じることのできる気持ちを指す。

そのために大切なことは「主観を客観的に肯定してもらう経験」を重ねることだ。そんな発想から生まれたのがハイパーサブジェクティブカルチャー論という訳である。あくまでも実験イベントなので、選りすぐりの有識者による教育セミナーなどではないことは先に申し上げておくべきだったかもしれない。

このβ版で、ある者は韓国のクリエイティブ/ソウルで見つけたカルチャースポットについて論じ、またある者は自己のねこ偏愛歴を振り返った。

好きでいるということは、同時にコンプレックスを生み出してしまったりする。それこそ既述の「プロフェッショナルの知識量にまで至っていないと認めてもらえない」という理解がそうさせているのかもしれない。そのコンプレックスを取り払うきっかけとして、本イベントが存在するようになればこんなに素晴らしいことはない。

信頼や安心や助け合いが前提の繋がり

この時代は確かに「ホット」である。しかしその代償として、SNSといった”数の圧力”による自己効力感・自己肯定感の低下リスクもあるだろう。


だからこそ筆者の仮説としては、
物質的な価値や利害が前提ではなく、信頼や安心や助け合いが前提の繋がりとコミュニケーションを重ねることが重要なのである。


多様性のある自由な生き方は、肯定の積み重ねによって醸成される。

もしもこの仮説が間違っているのであれば教えて欲しい。
ではここからは、この仮説が”間違っていない”場合の話である。


自分の仮説が”間違っていない”と決めつけたとき、踏み出すための道が生まれるのだ。




例えば、ここまで読んできたこの記事のように。

企画・文章・編集 いそっち

事業戦略策定、戦略に基づく戦術(マーケティング、コンセプト、コンテンツ)の企画を生業としている。 以前はアドテク業界でトレーダー、HR業界でアナリストを務める。座右の銘は「1%くらいが好きになってくれれば良い」。好きな食べ物TOP3はいちご大福、柿の種チョコ、サーティーワンのポッピングシャワー。Twitterアカウント「ふたむら、曰く@observefutamura(https://twitter.com/observefutamura)」の運用者。お仕事のご相談はお気軽にDMまで!

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